・・・あまりセッカチにならずに待っていて下さい。この返信の元になったあなたの投稿で出されていた「疑問」についても・・・大体は私の考えを述べていると思いますので。
いやいや皮肉かご批判かはたまたお褒めの言葉でしょうか。あきれられてしまいました。せっかちと言えば確かにそのとおりです、私もそう思います。仕事柄議論することは多いので、ポンポン言いたいことを言うことに慣れていてすみません。また、私が最初に書いたことについて、年内に結論を出そうと思っていることもあります。まあ個人的なことです。
もう一つ、私が右翼だという批判から、私の疑問に好意的なご意見まで結構バラエティーに富んでいるので、混同してしまったようです。まあ、色んな考えがあるってことは面白いですね。
なお、回答という点では確かに私の気に入る回答では無いということだったと思います。従って、じゃあお前の考えていることは何かということが問われますので、まとまりは悪いと思いますが書いておきます。それを言わなきゃ卑怯者ということになるでしょう。なお、前提として、日本帝国主義、アメリカ帝国主義、ヨーロッパ帝国主義が結託して北朝鮮を苛めているというような考え方には所詮同意できません。銀河さんが私を説得しようとするなら意味はありませんし、私を帝国主義者の手先と思って非難するなら勝手に非難しておいてください。
さて、私の考えですが・・。社会主義とか共産主義とかいう思想は、言ってしまえば思想史上に出てくる数ある思想のうちの一つというのが『今』の私の考えです。私は実験国家と書きましたが、ソ連ー東欧の崩壊や中国の市場主義化、ベトナムの解放によって、社会主義が一段落(見かけ上の失敗)したことによって、『歴史上の思想の一つ』となったのだと考えたわけです。マルクスやエンゲルスは確かに重要な問題を提起した思想家だったと思いますし、レーニンやスターリンはそれを実際に実現しようと考えた人々として歴史上に名を残しました。
資本主義は前の時代(中世)から成り行きで出来てきた社会制度だったと思います。社会主義は、過去のしがらみと新しい貨幣経済の出現の中で、色々矛盾が噴出して多くの人々が貧しかったという当時まだ出来て間もなかった『資本主義』の問題点をついて、当時としては大変進んだ全ての人間の幸福を追求する社会形態を考えたという点で確かに評価できる制度だったと思いますし、それを実現できるだろうと考えて努力した点も評価します。
『資本主義社会は成り行きで出来た制度』とするなら『社会主義は人間の幸福の理想像を追求した人工的制度』でしょう。成り行きで出来た資本主義はその後成り行きで現在の資本主義となってきたわけですが、金儲けこそ命と思う人間も居れば、政治的権力を取ることが命と思う人間も居るし、まったくそんなこととは無関係に自分が清く正しく生きていければそれで結構と思う人間も居ます。要するにいろんな人が居て勝手なことをやってるわけです。ある時期ヒトラーとか東條とか、変な指導者が出て国民が不幸のどん底に落とされたけれども、それに対して民主主義とか、自由主義という考え方も一方で出て対抗して最終的にはまあ、納得できる形で決着したわけです。それが戦後世界で、アメリカ帝国主義なんぞと言われるけれども、民主主義などに対する考え方はやっぱり持っている国だし、右に振れれば左に戻るし左に振れそうになれば右にゆり戻すと、まあ、そういう作用が働きあってバランスをとってます。面白いのは、アメリカという国は、社会主義に対しては『悪の枢軸』などと言って喧嘩を売ったけれども、自国の社会制度の中には、ちゃんと社会主義の良いところを取り・・・(文字化け)・・・所詮成り行きの社会ですから、この先も国民がちゃんと監視してないとへんな方向に行くかもしれないから維持するのは大変ですが、監視のしがいもあるというものでしょう。
そういう中で出てきた環境問題が面白いサンプルだと思うのですが、人々が生活する資源が枯渇するかもしれないという心配がいよいよ出てきたわけで、世界の人口の爆発的増加がそろそろ気になり始めているわけです。これは、政府がどうこうよりも、人々自身が自覚的に環境を守るためにどうするかを考えないといけないという時代に入り始めていることを意味し、自覚的に自分達の生活をレベルダウンすることだって考えなければならないということになってきたと思います。ここに必然的に成り行きにまかせた社会制度で良いのかどうかという議論が真剣に出来るような場面にぶつかりつつあるということなんじゃないかなと思っておりまして、これがまあ社会主義と呼ぶならそういう制度を真剣に考えてゆかなければならないような時期かななどと思います。
つまり、こういう時代になってみて、考えてみれば100年前にエンゲルスとかマルクスとかいう思想家が居たなあ、彼らの言っていることの中にも学ぶものがあるなあ・・と。
そこで、マルクスやエンゲルスの本を読んで、ここんところはいいかもしれないと、つまみ食いをして良いとこどりをすればいいんじゃないかと、そんな風に思うようになってきたというわけです。マルクスとエンゲルスが言ったことを必死になって勉強して、それを忠実に守ろうなんて言ったら、所詮時代が違うんだから、無理でしょうというわけです。