共産党関係者は、安易に闘うという言葉を使う。もちろん、私も例外ではない。
この言葉で周囲をおそれさせてしまうことはないかとこの頃は考える。
まず、今、自分が誰と闘わなければならないかと考えた時、日常生活の中では、自分自身と闘うことが、まず、求められる。
私は、多病である。毎日、胃が痛い。それは食べ過ぎることに一番の原因がある。一人前たべたところで、一段と食欲が出てくる。さらに食べる。そして、胃が痛くなる。こんなに食欲のあるのはガンでない証拠だと思う。なんと幸せなことか。
次に、風邪を引きやすい。寒いと感じても、面倒で上着を着ようとしない。それで風邪を引く。部屋中を暖房でハワイのように暖かにしておけば風邪はひかない。面倒でも工夫をすれば風邪は引かないのだ。幸いに日本はどこに行っても暑いほどに暖房が入っている。
オイルショックの時には、事業所で暖房が入らなかった。こっそり自分だけ足温器で暖めたり、身体中カイロをはったり、小型の電気ストーブを隠しつけしたりしていた。いよいよ寒くなると、人気のないところで、300回飛び上がって、人間発熱器になっていた。
今はなんと幸せなことだろう。冬季だけ、1,2万円光熱費を余分につかうだけで風邪をひかずにすむ。寝込むことなど考えられなくなった。
足が痛い。11月と、12月、足元だけ温風器をつけて、パソコンでゲームにはまっていたのが災いしたようだ。ある日、足首が二倍にふくれあがった。消炎剤を10日間用いたら治まったようだ。整形外科に行けば、完全にリュウーマチと断定されるだろう。一日で骨の形が変形してしまうのだから驚いた。すばやく対応しないと、一生足首が半分しか地につかない身体になるところだった。
前日、リューマチ患者で、後ろに転び、頭を打って手術した人の見まいに行って、変形した足首を見て、気の毒にと思ったすぐ後で、自分の身にも全く同じことが起きてしまった。
このように年金生活で一応食うには困らない人間でも、さまざまな困難と向き合いながら老いと闘っている。
先日、ガン患者の困難な生活ぶりをテレビで報道していた。有効な抗ガン剤でも保険で認められていない。それを自主診療で治療を受けると、一ヶ月100万円ほどかかるという。混合診療が認められるようになれば薬剤のお金だけですむようになるのだが、それも現在ではまだ認められていない。諸外国では認められて居る有効な抗ガン剤をはやく保険で認めてほしいと、ガン患者自らが街頭に立って訴えたり、署名とりをしていた。正にこれぞ革命家の姿ではないかと思った。
正面に立って闘っているガン患者自身は、その要求が通った時、果たして生きているのかどうかは解らない。しかし、後にガン患者になる人にとっては、彼等の戦いの恩恵に浴することになる。
自分自身の生活の改善を積み重ねて、それを社会と結びつけて行くことが、地道な革命につながって行くのではないかと私は思う。
今の時代は進歩が早い。自分の努力や、経験だけでは、とてもついては行けない。他人が費やした時間もこっそりいただいてしまう。それには他人の話に耳を傾けることが一番大切だと思う。
日曜日の10チャンネルの討論会で田原総一郎さんが、「ネット企業は儲かるのだなー」と感心していた。私もなぜネット企業が儲かるのか疑問でしょうがない。けれど、少しなぞが解けてきた。彼等は、M&Aを重ねている。要するに他人の時間を頂戴しているのだ。それが莫大な儲けにつながっていると思う。いわゆるハードな製造業の金儲けよりもソフトな金儲けがはやっているのだと思う。
いつまでもソフトに花が咲いてるとは、思えない。いづれハードに回帰する時代もくると思うけど。他人の時間を頂戴するという手法は今後もますます進化すると思う。それが情報社会でもある。
話は違うけれど、先日、赤旗読者の創価学会員と話していたら、ご近所の物持ちの後家さんが創価学会の集まりに一回行くと、後で1万円銀行から学会へ振り込まなければならないそうだ。それでだんだん足が遠のくと言っていた。話は、本当かどうかはわからないけれど。たとえ、一回1万円でもその人の魂がすくわれるのであれば、高くはないと思う。救われなければバカみたいな話だ。
創価学会も公明党が自民と歩調を共にしているので、下部では相当不満が溜まっているのではないかと思う。ここらが日本共産党の出番ではないかと思う。むつかしい戦いを強調するのではなく。日々の細かい戦いの相談相手になる活動家が必要なのではと思う。
たとえば、私の身体の不調との戦いは、民医連の医者との相談の中で良い成果を得られているのであるが、その医者がいなかったら随分困っているだろうなと思う。
医者にかかったために悪くなったという例も随分見てきていますから。
社会主義国では、医療が無料と宣伝されましたが、その医療の質が問われなかったことが、社会主義を買いかぶる一因でもあったと思います。
北朝鮮の映像を見るたび心が痛みます。私も戦後は同じような体験をしてきました。2,3ヶ月風呂に入らないのは当たり前でした。でも、日本人は腐っても鯛。そこから抜け出てしまいました。
彼等の現状は、日本統治のころより、良くなったのか、悪くなったのかを知ることも一つの問題提起にもなるかと思います。
中国の日本の植民地時代においては、中国人は、一生に三回しか風呂にはいらないと笑い話に語られていました。
いわく、生まれた時、結婚するとき、死んだ時だそうです。
現実はもっと厳しかったです。私たち子供が、学校主催で街の周囲を行軍(遠足)すると、大抵、4,5体の死体に出会いました。頭を水たまりにつっこんだまま死んで居る人も居ました。そのまま、カラスに食われるか、犬に食われるまで放置されているのです。
今のイラクの現状もそうではないかと思いますし、北朝鮮もそうかなと思います。死体といつも隣りあわせの生活、今の日本では想像できないでしょう。でも、私はそんな生活、短い期間でしたが、体験したことがあります。