<非才、無才は、実直な精神だけ養っておけ>
「出来んものは出来んままで結構,戦後50年落ちこぼれの底辺を上げることばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけをやしなっておいてもらえばいいんです」
この言葉は既に一部では有名だが、曽野綾子の夫にして前教育課程審議会会長で教育基本法改悪推進の理論的トップバッター、作家の三浦朱門が斉藤貴男さんの取材に対してほざいた、聞いた者が嫌悪感で反吐を吐き出したくなるような、教育勅語にも見られない明け透けな差別的言質である。
ノーベル賞受賞者・江崎玲於奈の「これからの子供達は遺伝子診断で将来が決められていく」と同列の、この国のご立派な国際的文化人が思わず口にしてしまった本音だと思う。
さてこの前、OECD・経済協力開発機構が発表した昨年の「国際的学習到達度調査」で「日本の子供達の学力が大幅に低下した」と発表され、各方面に様々な反響を呼んだ。
特に前回8位だった「読解力」がOECDの平均レベルの14位に転落、また「数学応用力」も前回の1位から6位に低下し、石原慎太郎始め教育基本法改悪論者達が「それ見た事か」と騒ぎ立てた。
ところがである、先の三浦朱門先生をよく読むと、あの言葉の後に次のことも喝破されていたのだ。
曰く「今まで中以上の生徒を放置しすぎた(略)平均学力が高いのは遅れている国が近代国家に追いつけ・追い越せと国民の尻を叩いた結果ですよ。国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも出てくる。日本もそういう先進国型になっていかなければいけません。それが”ゆとり教育”の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」と。
そしてこれは三浦朱門個人の見解ではなくて、「教育課程審議会の総意」だとわざわざ念押ししているのだ。
これはすごい事ではないのか、彼ら教育基本法改悪推進論者は子供たちの学力低下など問題外、計算済みだと言っているのだ。
ということは「学力低下だ」などと教育委員会や校長が偉そうに言ったって、何にもビビルことはないということだ、日の丸・君が代の処分問題など些細な事などもどうでもいいことなのだ。
全国の先生たち、日教組も全教の人たちも、もっともっと自信を持って仕事したらいい、トコトン闘ったらどうだ、何にも恐れる事はない。
貴方たちには、あの三浦朱門先生が、経済同友会の小林陽太郎幹事や有名な大学教授の先生方もついていてくれるのだからー。
そういえばそうだなー、「読解力が低い」なんていったって、そもそもこの国の最高責任者、いつも説明力不足で、なんとでも取れる訳の判らぬことばっかり言ってなんでも誤魔化しているし、また改悪憲法で目出度く「元首」に返り咲こうと画策しているお人たちだって、親はいつも間延びしているし、子供は子供で早とちりで喧嘩ばっかりしている、「読解力」なんて関係ないんだよね、必要性感じないものね。
彼らより今の子供達のほうがよっぽどしっかり話している。