日本共産党が、12月14日の参議院拉致問題等特別委員会(閉会中審査)において、「解決促進に関する決議」に賛成、同決議は全会一致で採択された。
同決議は、
(1) 拉致問題の解決なくして国交正常化はあり得ないとの不動の立場を堅持し、
(2) 北朝鮮との間で粘り強く協議を進めるとともに、
次の諸点(一部略)に留意し、拉致問題の抜本的解決の促進に遺漏なきを期すべきだとしている。
(3) 改正外為法や特定船舶入港禁止法等現行の国内法上とりうる効果的制裁措置の積極的発動を検討する、
(4) いわゆる対北朝鮮人道援助については、北朝鮮側からの誠意ある回答が得られ、その信憑性が確認されるまでの間凍結する、
(5) 今回の実務者協議後持ち帰った資料については、可及的速やかに鑑定・分析を進め、結果を同特委に報告する、
(6) 朝銀系信組に対する監督を一層厳格に執行する、
(7) 本年4月に国連人権委が採択した決議において、北朝鮮に対し拉致問題を明確に透明性をもって緊急に解決することを求めていることを踏まえ、かかる国際社会の支持と協力をより強固なものとするため、六カ国協議を始めとするあらゆる機会を捉え、外交的努力を引き続き強化する。(12月15日(水)付日刊「赤旗」(2)面)
12月15日(水)付日刊「赤旗」(1)面によれば、10日(金)の衆議院拉致問題特別委員会決議にはなかった「北朝鮮との間で粘り強く協議を進めるとともに」という文言が入れられたことにより、同党の「拉致問題の解決のためには、交渉を強めることが最優先だという立場」が明記されたことが「重要だ」と評価して、賛成したということである。
10日の衆院特委決議では、「いまなにより求められる日朝交渉の強化の方向が盛り込まれていない」ことを理由に棄権した、としていること(12月11日(土)付日刊「赤旗」(2)面)から、実質的な態度変更をしたと言わざるをえない。
これを考慮してか、14日には、決議賛成の前か後かは不明だが、党本部で「日朝問題について全国都道府県委員長会議」が開かれ、志位委員長が報告、不破議長が発言したそうである(15日付日刊「赤旗」(2)面)。
よく分らないのは、「北朝鮮との間で粘り強く協議を進めるとともに」という文言が入れられたことで、「拉致問題の解決のためには、交渉を強めることが最優先だという立場」が明記されたと、どうして言えるのかである。
「とともに」という文言は普通、「両者を併行して」と理解できる。だから、協議を粘り強く進めながら、併行して「(経済制裁等の)効果的制裁措置の積極的発動を検討」したり、「人道援助については、北朝鮮側からの誠意ある回答が得られ、その信憑性が確認されるまでの間凍結」したり、「朝銀系信組に対する監督を一層厳格に執行」したりする、ということではないのか。
こういう「交渉」の行い方がないとは思わない。誘拐や人質立てこもりの犯人に対する対処法としては、ごく原則的なものの一つではないかとも思う。北朝鮮による日本人拉致はまさにそれだとも言える。共産党がいう「交渉を強める」とは、交渉すること自体を強化するというよりも、交渉する者の態度を「より態度を大きくする」ということだったのか、という気もしてきた。
しかし、「与野党の一部から北朝鮮に対する『制裁』論を前面に押し出した主張もなされるという状況」のなかで、「わが党は、……『制裁』論というのは拉致問題の解決にとってもその扉を閉ざしてしまうことになる。それから、六カ国協議で努力が払われている核問題の解決にとっても逆流をもたらすものでしかない」として、これに反対する立場から、「交渉を継続し、交渉のなかで問題を解決する努力をはかる」といっていたはずではなかろうか(「赤旗」12月4日(土)付(4)面掲載の志位委員長の臨時国会閉会にあたっての議員団総会でのあいさつ)。
そして、これが実質的な態度変更に当るからこそ、急遽都道府県委員長会議が開かれたのではないだろうか。それをことさらに糊塗するのは、本当に誠実と言えるのか。民主的と言えるのか。
またまた、とおりすがりNさんが嘆いたような、末端党員の過剰防御反応を助長することにはならないのか。
この間新たに分った、横田めぐみさんの「遺骨」とされたものが、別の2人の人骨と判明した等の事実が、それほど大きいと評価するなら、日本共産党中央は、そこまで北朝鮮(金正日政権)を信頼していたのかと、驚いてしまう。なぜなら、北朝鮮政権は「5人生存8人死亡2人未入国」という基本線を微動だにさせず、この間一貫して嘘をつき続けてきたとしか言いようがないからである。嘘は今回だけではない。「特殊工作機関」が真相解明の障害になっているのであれば、それを金正日国防委員長が一喝すればよいだけの話ではないのか。「強く」言うべきことは、いくらでもあるはずではないか。
12月15日(水)午後現在、案の定北朝鮮外務省スポークスマンは、「横田さんの遺骨は本物、別人のものだとする日本政府の発表はねつ造」だとし、6か国協議の場から日本政府排除を要求することを示唆している。この結果は、志位氏がつい10日ほど前に憂慮していた「六カ国協議で努力が払われている核問題の解決にとっても逆流をもたらすもの」ではないのか。
もちろん、責任は北朝鮮側にある。この点を曖昧にはできない。
しかし同時に、私が憂慮するのは、冬場に向って「積極的発動を検討」されていた経済制裁が発動され、在日からの直接チャネルを閉ざされ、極めて制限されている「支援」物資の「おこぼれ」に与る機会も「凍結(これだけは確定的である)」によって奪われる現地民衆の困難の悪化である。
標記参院特別委決議の私の引用第(7)項にもあるように、拉致問題は国際的な人権問題である。と同時に、同じ者を責任者とするもう一つの人権問題があることも、忘れるべきではない。北朝鮮民衆の極度の飢餓と恐怖による抑圧である。
われわれは、この二つの人権問題を、狡猾で陰湿な恐怖政治の為政者を相手に、同時にどうしようもなく対米従属的で反民衆的・好戦的な「代表者」を通じて、きわどい連立方程式として解かなければならない。
喩えがおかしいかも知れないが、「ほめ殺し」のような対策は打てないものなのか。支援の申し出とともに、現地NGOや国連出先機関の協力も仰いで援助過程を高度に共同管理するような申し出をセットにして、支援物資に出所を明示する・日本政府のオブザーバーを援助行動に同行させるというような提案を行い、本当に民衆を救えるようにねばり強く手を尽くすのである。
横領疑惑が取り沙汰されている現状では、この提案に対して正面から「内政干渉だ」とは言いにくい状況ではないのだろうか。支援それ自体の高度の緊急性と道義性を考慮すれば、この提案に難癖を付ける北朝鮮政権は、国際社会から現実的顰蹙を買うだろうし、これを嫌がって、一定の妥協をせざるをえなくなるのではないか。そんなことを考えるのである。
その妥協が、単なる支援過程の管理に止まるとしても、北朝鮮人民へのわれわれのメッセージは確実に届く。また、支援が届くとともに、抑圧社会の「タガ」は、相当に緩んで行くのではないだろうか。
他方、われわれの情けない「代表者」は、憲法9条改悪を本丸とする「新憲法制定推進本部」の本部長である。新防衛大綱・新中期防は、「中央即応集団」の新設・「ミサイル防衛構想」の確立等々、物騒な計画のてんこ盛りになった。MDのたとえ話では、テポドンを如何にして着弾させないかが定番になっている。
「積極的経済制裁措置」が芳しい効果を上げずに膠着状態となった場合、「次の一手」に何らかの武力行使を(ブラフとしてだけでも)主張する、というような事態が来ない保障は、ないのではなかろうか。
「拉致とこの間の欺瞞的対応への日本国民の断固たる抗議の意思を表すため」に早期の経済制裁実施を行うべきだとし、「日本は軍事力は行使できない国なのだから、武力行使の心配はない」「経済制裁によってそう遠くないうちに金正日体制は崩壊する」と主張する論者は、このような事態の展開は「絵空事だ」とでも考えているのか。
本稿の発端となった日本共産党の決議賛成に戻ると、いま指摘した二つめの「国際的人権問題」の存在について、日本共産党がどのように考えているのか、ほとんど判らない。「北朝鮮の民主化」などというと、「イラク侵攻でイラクは民主化され国民は自由になった」とうそぶくブッシュ政権を非難する立場と、紛らわしくなるとでも心配しているのか。
それはあたかも、「ニセ札が怖いから本物の紙幣を発行しない」とでもいうような、馬鹿げた考えであることは明白だ。
やはり、とおりすがりNさんに向けた12/11付返信投稿でも触れたように、「社会主義」を標榜する(又はしていた)諸国家内における人権問題についての、一定の確固たる見地の確立が、どこにもないことがネックになっていると考えざるをえない。「戦争を違法化し、国際の平和と安全を多国間協力で維持する、民族自決権と内政問題不干渉原則を遵守する」と言うだけならば、国連憲章第1条が定める「国連の目的」は、第1項と第2項があれば足りる。人権の国際的保障原則を定める同第3項はなくてもよいのである。
しかし、チェチェン問題がロシアの「国内問題」であると同時に民族「自決権」問題でもあるというように、自決権一つをとっても、「内政問題不干渉原則」一本では、現実の問題を適切に分析・解決することは困難になっている。そしてそのほとんどが、同時に深刻な「人権問題」でもある。そのどれもに目を配らなければ、現実の問題の真の解決は図れないと、強く思う。
だから、「困難な連立方程式」に立ち向うことを、私たちは避けることができない。その鍵となるのは、搾取され・抑圧され・飢餓貧困と恐怖の中に追いやられている、無数の民衆のささやかな幸福でなければならないはずである。(12月15日夕刻)