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教育の問題について一言

2005/01/02 とおりすがりN 50代 会社員

寄らば大樹の陰サマ

 もう撤退したいのですが、一言言わなきゃ気がすまないんで。

 学力低下の問題について、社会主義を目指す方の議論がこの程度なら何をかいわんやということでしょう。教育問題には何も関心が無いご様子。関心があるのは教育の現場で日の丸を批判し反戦平和を叫ぶことだけでしょうか。そういうことが問われているという自覚は無いのでしょうか。

 何も反戦を語ることが悪いといっているわけじゃないんですよ。誤解のなきよう。

 1960年代から、詰め込み教育、受験一辺倒の教育はけしからんという民主勢力の力が徐々に増して1980年代の共産党圧勝の選挙を経て、そして現在に至る過程で『ゆとり教育』という考え方があなたが嫌う『文部科学省』すら明確な方針として出してきたわけですよ。民主勢力の勝利なんじゃありません?

 この過程で果たした共産党や民主勢力とあなた方が呼ぶ人々、市民運動など多くの運動が果たした役割は大変大きかったのですよ。私も期待してました。『子供にゆとりを』と叫んできたのはあなた方だったはずだし、教える量を減量しろと言ってきたのもあなたがただったんじゃありませんか。そして出来る子も出来ない子も平等に教えなさいとも言ってきたはずですよ。それが実現した今、子供たちは皆仲良く気持ちよく勉強に励める環境になるはずだった・・・んじゃありません?

 その中味は100訓えるべき内容を50に抑制して、その50は確実に理解できるようにしようと、そういう考えは当時は理想的に見えたが、実質的にはどうだったのか、そこのところが問われているということじゃないでしょうかね。三浦何がしがどう言おうと問題なのは、そうした教育改革の結果、子供たちが満足する教育が実現したのかが問題なんじゃないかと思っているんですがどうでしょうね。

 民主勢力は大いに耳障りの良いことを言ってきました。曰く、高校受験で子供を悲しませない『15の春を泣かせない』とは確か共産党の知事蜷川さんが言った言葉で全国に広がったかと思います。私もそう思ったものですよ。しかし、私も仕事をするようになって京都の人の友達もたくさんできたわけですけれども、皆さんがおっしゃるのは15の春に泣かなければ18の春に泣くだけよ・・問題の先送りだけ・・。と言ってました。おかげで京都出身者が京都大学に入れなくなったと・・・。

 まあ別に京大に入らなくってもいいんですが・・・・教育問題に対しても、教育改革を訴えた人々の考えも未熟だったとは思いませんか?もっと真剣に大切なものは何かについて考えていただけませんかね。何も日の丸君が代だけが大事なことじゃありませんよ。

 そういえば私の身近なところにある中学校では君が代日の丸に反対している先生の授業のやり方が強権的で生徒にまったく支持されてないという話もあります。

 そして『サインコサイン何になる』とか、『数学なんか知らなくても生きては行ける』とか、『勉強なんか出来なくてもいい元気なら』とか言った学問を馬鹿にするような考えを助長してはいけないのです。受験とは関係がありません。学問を真摯に捉えた教育が必須だということです。