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12/31 党員欄  青二才さんにたいする感想

2005/01/02 ロム3

 私はあなたの何倍も生きた老人、現代の青年をあまり知らないので 意見などいうのはおこがましい存在です。
 その上での感想を言わせて頂きます。

民青、青年党員の知的水準を見るに、非常に低い水準なことに失望感を持ちます。

 なにを基準にして低いのだろうと思います。

感覚的にしか物事を理解できない人が本当に多いように思えます。学卒あがりの頭でっかちなのもまた考えものですが、学習を二の次にして、駅宣やカンパ回りなどの活動に多くの時間と労力が割かれてしまうのは非常に問題があるように思えます。

 感覚って、過去の経験から出てくる物であり、大切なことではないかと私などは考えますが。
 学習を二の次といわれますが、何の学習でしょうか。党の学習ならしないほうがまし。と言う面もありますが。私の所属する大衆組織の区段階の支部の支部長は党員ですが、「党の綱領・規約なんか関係なーい。」と、いつも言っています。関係ないというのは、大衆組織にとって、関係ないということではなさそうです。自分たちが考えて正しいと思うことをやる。と言う意味のようです。

駅宣を通じて、今の青年が置かれている惨状を知ること。青年、対象者との対話を通じて、民青、そして民青が導きを受ける共産党の魅力を語ることは活動の本質だと思います。

 導きを受ける共産党などというと、なんか、創価学会や、北朝鮮のようないやーな印象を受けます。そんないやーな感じの民青に魅力が残っているとは驚きです。

不断の学習を通じて、思想的水準を高めていくこと、学習と活動が両輪の輪となり、そこから得られたことが政治的確信に繋がることは言うまでもないことです。民青・党青年を見るに、そうした自覚が非常に乏しいと思います。

 どんな学習なのだろうなー、あなた自身はその学習が楽しいですか。もし、あなた自身が楽しいものでなかったら、他に強制すべきではないと思いますが。

それは民青同盟員・青年党員の質、殊に知識水準に大いに関係するものだと思います。

 一口に知識水準といっても、人間には、いろんな能力があります。あなたが望む知識に欠けているということだけかも知れないし。あなたが及ばない多方面の知識を相手が持っているかも知れませんよ。

大先輩にあたる党員の方がおっしゃっていたのですが、「今の民青は落ちこぼれの救済機関に落ちぶれてしまった。」

 落ちこぼれの救済機関、結構じゃありませんか。それができるなんて大した事だと思います。
 日本共産党が見捨てた人は、大抵創価学会が拾って行きます。だから、私は、共産党より、学会の方が組織づくりは上手だと思います。
 落ちこぼれでも拾えるようにならなければ、選挙で共産党は公明党に勝つことが出来ません。どうしたらおちこぼれを拾えるか。私はそこを研究したいです。

「民青・党青年に20年前のような思想水準を期待はできない。」と痛切なご批判を頂きました。

 20年前の思想が果たして正しかったのかを先ず考えるべきだと思います。共産党に都合のいい、民青を作ってもだめだと思います。

なにも、学卒者が多ければそれでいいということではないのでしょうが、皆をひっぱっていこうとしてもみんながついてこない、民青になると「仲良しサークル」の延長線としてしか見ていないのではないでしょうか。

 皆をひっぱて行くというのは、しんどいです。もし、間違った道にひっぱって行ったとしたら、あなたの責任は重大です。ひっぱって行くのはやめた方がいいと思います。

「民青の人はなんか気持ちが悪い」とよく言われもします。学校の落ちこぼれ、社会の落伍者ばっかり入れているような、誰彼の別なしに入れているような感じがします。

 どいうふうに気持ちがわるいのでしょうね。共産党員の中には、自分は、党員だから一段上の人間だと一般を見下す人が居ます。そういう人は確かに気持ちがわるいです。自分は党の仕事をしているから、面倒なことはおまえ達がやれとばかりに大衆組織のなかで甘えている党員がいます。そういう意味では、社会の落伍者と見なされても仕方ないと思います。

 そうではなしに社会の落伍者とは、どういう種類の人でしょうね。
 どんな人でも来る人は拒まず、去る者は追わずというのは、理想的な組織のように思いますが。

民青、党青年の現状をなんとか変えようと四苦八苦してきましたが、もう疲れました・・・。
このまま身を惰性の流れにまかせたいです。最後のほう、愚痴になってしまい、申し訳ありません。

 どう変えようとしていられるのかが問題ではないでしょうか。人が集まってくれるだけでも有り難いのではないでしょうか。もちろんあなたに魅力があって集まってくれるのでしょうけど。

 あまり上の意向を重視していると、「笛吹けど人は踊らず」という悲しい結末になります。上を重視するか、下を重視するか、考えどころではないでしょうか。人集めは実に大変です。それだけでも大変なのに、それをいやがる方向につれてゆくのはもっと大変です。みんなが楽しめることをやったらどうでしょうか。