僭越ながら党員では無い一市民からのメッセージです
投稿はもうやめようと思いつつ、つらつら眺めるに党員欄に次の一文を見つけました。100年変わらない共産党の体質を感じましたので、たぶんご存知無いだろうことを紹介して、皆さんが資本主義社会を変えるなら資本主義社会が蓄積した学問的蓄積を100%以上学ばなければけして社会主義など達成できるものではないことを良く考えて頂きたいと思います。
民青同盟員ならびに青年党員の質にたいして、先輩諸兄のご意見を伺いたいと思い、投稿しました。
私は、民青では幹部、党青年支部ではLCをしております。民青、青年党員の知的水準を見るに、非常に低い水準なことに失望感を持ちます。
『知的水準』と『科学的視点』を問題にします。時は1945年頃と思ってください。第二次世界大戦終結後のヨーロッパの事情です。遺伝子・・・わかりますね、遺伝学における遺伝子のことです。ワトソンとクリックが遺伝子=DNAであることを証明したわけですから、それより7-8年前のころです。ヨーロッパでは多くの研究者がナチに対抗して地下活動に参加し、当然の流れとして共産党に加わりました。それがナチの敗北でフランスは開放され研究に戻ったのです。まだ遺伝子が何か良くわからなかった時代に研究に戻ったフランシス・ジャコブ、ジャックモノーは大腸菌の中で遺伝子が巧妙に制御されオペロンという構造で機能を発揮していることを証明し、その後のワトソンクリックの遺伝子の解明に強い影響を与えて自身もノーベル賞を受賞したのです。その後の遺伝学の展開は現在に至るまでこの業績は輝いています。さて、このモノーが地下活動で共産党に参加し、後に離れたことはあまり知られていないのではないでしょうか。
モノーが遺伝子を研究している最中、やはり戦争に勝利したソ連ではルイセンコという農学者が麦の栽培を通じて春撒き小麦を秋撒き小麦に変換することが出来ることを発見し、農業生産量を上げることに貢献しました。この事実からルイセンコは生物にとって遺伝子よりも環境が重要であり、時には環境が遺伝子以上に重要だということを主張し、遺伝子の重要性を語る研究者を排除したのです。世に言うルイセンコ論争が始まりました。平等主義をかかげる共産党にとっては遺伝子至上主義よりルイセンコ説のほうが都合が良かったためルイセンコを取り立ててモノーの遺伝子・オペロン説を支持する研究者を粛清したのでした。
モノーはかなり積極的にルイセンコと論争したそうですが、ついに共産党を離れてしまったようです。彼自身はこの間の事情について本人が語ることは無かったようですが・・・忘れてしまいたい過去の問題だったようだと聞きます。
この論争には多くの日本の研究者も当時議論していたようですが、遺伝子の構造がDNAであることが確定し、その後遺伝子の機能が次々と解明されるに従い、ルイセンコの説を信じるものは自然に消滅していったようです。
さて、これから何を教訓としたら良いのでしょうか。あれは崩壊した共産主義国ではないソ連のことだから関係無いと思ったら、共産党の未来も民青の未来も無いでしょう。ここから学ぶべきは何かを十分考え勉強に励むことの意味を見出すことが出来るなら多少の光明が見えるかもしれません。資本主義社会が社会主義に発展すると信じるなら、資本主義社会が明らかにした学問的成果は全て取り込んでいかなければならないからです。
勿論私は党員ではありませんし入党する気もありません。ただ、共産主義が人々を幸福にするのかもしれないとかつては信じていた一人として皆さんの活動を眺めている市民にすぎません。
モノーの研究はけしてセピア色の残像ではありません。未だに燦然と輝く生きている研究結果であり、遺伝学の思想の根底を成します。それに対してソ連が政治的に利用したルイセンコ説はセピア色にくすんだ歴史上のできごとの一つになりました。