教育問題の件で項目に分けて一つずつ回答させていただきます。ただしあらか
じめお断りさせていただきますが、私はただ単に現場にいる一人の教員というだけの
ことで、そういう立場からの一つの回答にすぎない、とお考え下さい。私は党員では
ないので言うまでもなく共産党の代弁者ではありません。また、「民主勢力」あるい
は「民主的教師」という自覚も全くありません(組合などで「民主的」活動を活発に
してきた、などという実績はありません)。さらに、教員の間でも様々な考えがあり
ますから、私の考えが教員の声を代表したもの、などというおこがましいことを言う
つもりもありません。共産党については、あくまでも私は一人の支持者(共産主義に
ついてはよくわからないけど、いろいろな政策について最もまともなことを言ってい
ると感じられるので、投票している者。赤旗読者ではない)というだけのことです。
あと、教育問題について論じることについて、阿Qさんは「私のような素人が」と
謙遜しておられましたが、現場にいる者も、も阿Qさんのようにそうではない方も立
場は変わらないと思います。私たちは教科指導など直接生徒にかかわることについて
は立場上専門家でなければなりませんが、教育学者というわけではありません。どう
ぞ今後も謙遜されて「譲る」などとおっしゃらずに、教育問題についてお考えいただ
き、必要に応じて投稿もしていただければ、と思います。大変参考になることも数多
くありますし、私どもの「業界」のことを真剣に考えてくださることを心強く思いま
す。とおりすがりNさんに対してもそのように思います。
全体的結論から申しますと、私は正直なところ、どういう立場の教師がどういうこ
とを言っていただとか、その辺はよくわかりません。こんなことを言ったら失礼かも
しれませんが、そういうことにはあまり関心はありません。しかし、生徒に対しお二
人の「知識を教えることの大切さ」と「自分で考える力を育てることの大切さ」につ
いて何もどちらがどうだ、と論争するようなことではなく、本当に両方とも大切なこ
とで、そのバランス、そして両者の結びつきが大切だ、と思うことです。
◆とおりすがりNさんからの「ゆとり教育」についての検証の件◆
この件について、よくわかっているわけもないのに「他ならない」などと決め付け
た言い方をして申し訳ありませんでした。ただし「教育にゆとりを」の部分について
は、
1系統性を欠いた知識の量を争うような詰め込み教育、受験戦争の是正
2小人数学級の実現
というようなことが「民主勢力」の主張の中心であったかと思います。これに対して
「ゆとり教育」で表向きは「100教えるというのではなく全員50がわかるように
する」というふうになっていったわけですが、たしかに一見1の条件を満たしている
ような感はあります。ただし、
私がここでまず「民主勢力」の主張と違っていると思うのは、ただ知識の量を減ら
しただけで、系統性の部分については軽視されたままだったというか、まともに論上
にあがらなかったことです。
さらに、この「ゆとり教育」を取り囲む様々な政策をみると、本当に「全員わかる
ようにする」という全員の学力を保障するという姿勢が感じられないことです。
1 教育現場に及ぶ市場原理とそれに基づく行過ぎた競争原理の導入⇒学区制の撤
廃、選択科目の必要以上の拡大、義務教育国庫負担の廃止など。一見自由でよい、と
いう感じもあります。プラスの点がないわけではないかもしれません。我々教員が日々
切磋琢磨しなければならないこともわかります。しかし、ここには全く「全生徒への
基礎・基本の学力保障」という視点がありません。かわりに「心」、それも「忠誠心」
的な部分が強調されます。「一部のエリートが舵取りをする国の政策に従う多数の忠
誠的国民を生産している」かのようです。(経済アナリストの森永さんがよくこうい
うことを主張されていますよね。)
2.終わりのない授業料の値上げ⇒所得の低い人が進学できない。この10年くら
いで、生徒の家庭の経済状況は本当に驚くほど厳しくなっています。米国の初等、中
等教育現場を視察した経験がありますが、米国はこういう部分については日本よりも
はるかにクラシックな印象をうけました。
結局たいしたことが書けませんでしたが、またご批判等いただければ考えていきた
いと思います。
ちなみに、新聞報道によれば、先日中山文科相が基礎学力低下の問題についての対 策として、「総合学習と選択教科をどうするかだ」と述べているようなので、大臣に はぜひ、基礎学力を危うくするほどの「行過ぎた選択教科」の部分をもう一度、現場 の声をよく聞いて再検討して頂きたいと思っています。
◆とおりすがりNさんの「民主勢力」がいっていることが実現されているということ
について◆
たしかにそういう部分、あるんですよね。
1.保護者や地域の人も学校教育へ参加する⇒学校評議委員会の設置
2.観点別評価、絶対評価の導入を ⇒導入済み
3.生徒の声をとりあげる学校づくりを ⇒授業評価
これらの設置については、国や地方公共団体の「善意」の部分もあると思います。
「上」の政策がすべておかしいというつもりはありません。多くの良識ある学者も、
国の教育政策づくりに参加しています。私が尊敬していてよく文献を参考にする学者
の一人も、学習指導要領の執筆者の一人です。さらに「お役人」の方の中にだって、
本当に善意を持って、情熱を持って真剣に考えている方もいらっしゃるはずです。た
だし、上記の部分については、現場ではいろいろ問題を生んでいます。
1⇒何か今の学校教育は、上から指示された外面の体裁を整える様々な書類づくり
や会議にばかりに追われ、主人公である生徒のための時間がとれないこと。(ちなみ
に、本校の評議委員の方々は、「先生にはもっとゆとりがなきゃだめだ」と好意的で
した。そして評議委員の方々が「外面の体裁より中身を」というようなことをおっしゃ
っておられました。)
2⇒高校入試などで、学校間格差などがもとで不公平感を生んでいます。(では以
前の相対評価がよい、ということではないはずです。この部分については本当に難し
い問題で、私自身の中でも明確なビジョンが生まれません)
3⇒私は以前から自主的にやっていました。しかし今は何か上から押し付けられた
ような形でやりにくいです。
さらに「上」の方々は、「民主勢力」「国民の声」自分たちに都合のいいように 「利用」するのが大変上手だと思います。だからこそ、「ゆとり教育」は「教育にゆ とりを」をしたたかに利用した部分もあったと思います。
・・・すみません。だいぶ疲れてきました。阿Qさんに対してもいろいろ回答させ ていただきたいのですが、今日はここまでにさせて下さい。項目ごと、少しずつ投稿 させていただきたいと思います。次回こそは、自分がここで述べたことなどよりももっ と述べたかった「知識」と「考える力」の件について投稿します。伸ばし伸ばしになっ て申し訳ありません