バビル優様の返事を利用しながら、民主主義、共産主義について私の考えを投稿 します。二人の間の討論ではなく第三者の参加も自由です。
<、【民主主義】人民が主権を持ち、人民の意志を持ち政治を行う主義。と書いてあ りました。これを見てどう思われますか?>
言葉の意味としてはそのとおりです。 1月7日の私の質問はこうでした。
「ところであなたはこの日本が資本主義のままで民主主義的になれると思いますか。」
そのあとで要するに「この社会で民主主義は支配階級が持っているもので大多
数の労働者にはないものだ」という意味のことを言いました。
「この労働者の実情を見れば人民が主権を持ち政治を行う主義」という国家では日
本はないのです。
ブルジョアジーが主権を持ち、ブルジョアジーの意思(ママ)を持ち、ブルジョアジー
が政治を行う国家がこの国です。従って民主主義を実現するという言葉が誰の民主主
義かという主語がなければ意味のない言葉でしょう。
少数のブルジョアジーのための民主主義か、圧倒的多数の労働者人民のための民主
主義かという問題です。
「労働者革命の第一歩は、プロレタリア階級を支配階級にまで高めること、民主主義 を戦いとることである。」(「共産党宣言」マルクス 岩波文庫 大内、向坂訳、 p68)
つまり私たちは資本主義社会の民主主義をブルジョア民主主義と呼ぶことにし、
社会主義(生まれたばかりの共産主義)社会の民主主義をプロレタリア民主主義と呼
ぶことが出来るでしょう。
あなたの回答では民主主義の辞書的解釈を紹介しただけのことで、それを公理とし
た上での私の一歩進めた民主主義に対する考えを階級的観点からせっかく敷衍させた
のに、同じところで堂堂巡りをします。
私に対してゴリゴリも白黒しかないも結構なのですが、漠然とした民主主義に対す
る理解に対する私の考えに対してあなたの考えはどうなのでしょうか。あるいは他の
方の。
さてロム3様との共産主義についての二人のやり取りですが、二人とも共産主義を 夢や理想と考えています。そこでマルクスがなんと書いたかを引用します。
「共産主義はわれわれにとっては、つくりだされるべき一つの状態、現実が基本とし なければならない一つの理想ではない。われわれが共産主義と呼ぶのは、今の状態を 廃棄するところの現実的な運動である。この運動の諸条件は今現存する前提から生ま れてくる。」(「ドイツイデオロギー」マルクス・エンゲルス著古在由重訳 岩波文 庫 p48)
共産主義を何らかの理想、空想とする考えにマルクスは反対しています。
「プロレタリアートは何らかの理想(空想)を実現するのではなく、崩壊しつつある古 いブルジョア社会そのものがはらんでいる新しい社会の諸要素を解き放つのである。」 (「フランスの内乱」マルクス)マルクスからの引用はこのくらいにします。
これはどういう意味かといえばマルクスの時代でさえ共産主語を実現できる物質的
背景(前提)が今日では十二分に資本主義国、とりわけ帝国主義諸国にはあるのです
が、それを解き放つ、つまり生産手段をブルジョアジーからプロレタリアートのもの
にする革命によって直ちに共産主義が始まるということなのです。
それだけの生産力と背景がある、ブルジョア的所有を廃棄することが共産主義の実
現なのです。従って理想でも夢でもないのです。労働者階級の戦いそのものが共産主
義と呼ばれるものです。
共産主義が実現するのは600年も先だということを不破が書いているがマルクス
が聞けばクソカスに言うでしょう。
われわれは資本家階級の支配を打倒すればその瞬間から萌芽的な共産主義社会には
いっていくのです。しかし世界的な規模で革命が達成されない限り、ある時点で共産
主義は行き止まりになるでしょう。
あらゆる宗教の目指すものは共産主義的な世界でした。しかしそれらは人間の理想 であり、夢でしかありませんでした。だが今日生産力がここまで発展した段階で史的 唯物論的に言えば、それに照応した生産関係が実現されねばならなくなっています。 つまり潜在的生産力はもっと巨大なものであるが資本家の利益のための生産が桎梏と なってそれはまだ解き放たれていないのです。(言いかえれば、売れないものは生産 しないということです。)この時代にきて革命が豊富な生産力を解放させるならば世 界の人民を物質的充たすことが可能となったのです。しかし陣痛の苦しみがなくては 誕生がありません。