お忙しい中、レス有り難うございました。
今の私は、私と同じようにイメージでとらえる人間にとっては「共産主義」のような 確固とした教え(資本論)のあるイデオロギーは宗教的な要素があると思っています。
宗教の教文やバイブルって、魅惑的な良い事が書いてある事が多いですよね?殆どの 宗教が良い事が書いてるのではないかと思います。
おっしゃる通りだと思います。リーダーと言う者は、予言、ないしは預言をいわな
ければ、リーダーにはなれません。山登りにしても、未知の山に登る時は、リーダー
のある種の勘に頼らなければなりません。
また、発明などでは、偶然の失敗から、貴重なヒントをえることもあります。凡人
が失敗したら単なる失敗でしょうが、必死に研究している人間にとっては、それが貴
重な転機になるわけです。
その中の魅惑的な言葉を唱えられると、人によっては洗脳されてしまう。でも、皆良 い事が書いてあっても現実にはなぜか良心的な宗教もあれば、酷い宗教もあるし千差 万別ですよね?つまり、どんな良い事言っていても一旦洗脳しちゃうとその後は結構 なんでもありなのかなと思うのです。
宗教には、ついて行く人間にも責任があると思います。
つまり、酷い宗教の例えとしていい例がソ連や中国、北朝鮮なのではないかと思いま す。
かっての社会主義国は、一種の宗教国家と言えるでしょうね。
ヨーロッパで、中世宗教暗黒時代があったように、ロシア、その他の遅れた社会に
宗教暗黒時代がおとずれたのだと思います。日本でも戦中は暗黒時代でした。本気で
神風が吹くのを待っていました。
失礼ながら例えたとして日本共産党は今の所いい宗教かも知れません。でも共産党も 公明党に対して「政教一致」とか言って非難してますよね?
目くそが鼻くそを笑う。と言う言葉がありますが。同類だからよく喧嘩をしますね。 共産党が公明党を目の敵にする内は、見込みはありませんね。包含してしまうように ならないと影響力のある政党にはなれないと思います。
創価学会の教文にそんな酷い事が書いてあるのでしょうか。
共産党が「政教一致」と非難するのは宗教の教文内容の良し悪しではないですよね?
読んだことがないので、教文については、全くわかりませんが。
共産党は、宗教団体を政治に利用してはいけないということを言っているのでしょ
う。宗教団体は、納税もしませんから、政党とは本来一致できる性質のものではない
と思います。ある種の法的イカサマについて批判しているのだと思います。
私が確固としたイデオロギーである「共産主義」を党のシンボルとして明確に掲げる 事に賛成できないもう一つの理由は、実は共産党が公明党を「政教一致」と言って非 難している理由に近いのではないかと考えています。
「政教一致」の批判内容を明確にすべきだと思いますが、私は、リーダーは予言者 ないしは、預言者であるべきだと思っています。宮本顕治は、「日本革命の展望」を 書きあらわしました。当時の情勢の中ではそれはかなり受け入れられました。しかし、 すぐに時勢にあわなくなりました。その時点で予言を修正しなければいけなかったと 思います。それをやらない、できない、組織的体質が問題であったと思います。
偉大なるマルクスについても、マルクスにも誤りがあったと思います。私はマルク スについて不勉強ですから多くは語かたれませんが、パリーコンミューンを指導した のは誤りだと思います。その誤り路線を引き継いだのが、レーニンだと思っています。
誤解しないでほしいのですが、理想を唱えたり、追求する事自体が決して悪い事だと は思っていません。もちろん素直に共感する事もあると思います。
おっしゃるとおりだと思います。予言は必要だとおもいますが、それが間違った時、 ひっこめる勇気が必要ですね。
未知の世界に誘導するのだから、誤りはつきものです。少しでもおかしいぞと思っ たら引き返す勇気がないと、山岳ガイドもつとまりませんね。リーダーは、多くの人 の生命を預かっていますから、責任重大です。自分の意地だけで進んではいけないと 思います。
旧約聖書に出てくるユダヤ民族の預言者(リーダー)達は、出来うるかぎり自分の
意地をおさえるために神の預言という形をとったのだと思います。神という絶対なる
者に対して、自己を無にして、一心に祈り、考えて最良の道をさぐったのだと思いま
す。
神を民衆におきかえれば、民主主義になると思います。
日本共産党の現在の惨状は、不破哲三というリーダーが余りにもいじっぱりだった ために起きたことだと思います。