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樹々の緑さんへ

2005/01/25 過去へのこだわり 50代 会社員

 樹々の緑さん、はじめまして。
 さざ波通信は今まで時々閲覧させて頂いていましたが、今回初めて投稿させて頂き ます。
 それは樹々の緑さんのこの間の大作を読ませて頂き、どうしても感想をお伝えした かったのと「新日和見主義」に対しての評価が私と違い、もう少し色々お聞きしたい と思ったからです。
 まず私の自己紹介から始めます。私は50代後半でありもうすぐ60代に突入する 年代です。学生時代及び社会人としても党員として活動していましたが、さざ波通信 で多く語られている党運営に疑問を感じ離党した者です。党員期間が10年ぐらいで 離党後20数年は経っていると思います。社会人としてはすでに管理職の立場にある 人間ですが、共産党の躍進を未だに強く望んでいます。ただし、ここで議論されてい る水準は私にはすでに無く、これから書くこともすべて今私が記憶している事を元に 議論に参加したいと思います。
 みなさん方の討論に、「何年何月の党の決定やあるいはレーニンのどの本にこうし た事が述べられている」というような議論は永く党から離れ一般人として生活してき た私にはできないことをまずお断りしておきます。
 樹々の緑さん、あなたの三部作極めて興味を持って読ませて頂きました。それ以前 にもさざ波通信の議論の中であなたの主張にもっとも共感を抱いていました。ただ単 に閲覧していた私が敢えて議論に参加する事に踏み切ったのは、60代を間近に控え 私自信の人生の総括をしたいという思いがあるからです。樹々の緑さんが書かれた学 生時代の党活動の問題点等を読みながら当時を思い起こし、私なりの感じ方を少しお 話してみたいと思いました。
 私は樹々の緑の緑さんが否定されている1970年代を大学で過ごしました。私と しては学生運動がもっとも高揚した時期であり、毎日、毎日の戦いが緊張感もあり楽 しい時期でもありました。樹々の緑さんが否定されているように、我々の時代の活動 家は大学の勉強をほとんど放棄し、活動に明け暮れていました。私が入った大衆サー クル(ほとんどが党員)でも4年で卒業する者はほとんどおらず、留年するのが当た り前の様な風潮がありました。私は幸運にも4年で卒業しましたが、実際の学問は何 も身に付けず卒業してしまいました。しかし、私はこの学生時代の4年間を決して若 気の過ちとして捉えていません。この4年間で私が学んだ物の見方、考え方は現在の 私を支えており、決して無駄であったと思っていません。(私は離党した今でも共産 党は私を育ててくれたとおおいに感謝しています。)
 たしかに樹々の緑さんが言われるような悲惨な実例も沢山見ています。樹々の緑さ んが言われた「ずるい人」に該当するのかも判りませんが、私は当時から「身の破産」 避けるべき「位置」に存在を置くように注意してきた面はあります。(そういう意味 では宗教的参加には批判的視点を当初から持っていました。)
 私が遭遇した事例で、衆議院選挙に際して、共産党地区委員会は後一歩だと学生に 対して応援を求めて来ました。私の後輩の者がその情勢分析を信じ、昼夜を問わず大 学に泊まり込み選挙活動に没頭していました。いざ開票されて見るとその候補者はトッ プ当選でした。(しかも確かダントツで)その時彼は喜ぶと思ったのですが、喜ばず 無気力になっていったのを覚えています。私はこの件をその後の様々な場面での教訓 としています。無責任な扇動は絶対してはならないと。この辺は樹々の緑さんの指摘 される当時の活動の弱点であり、私も共有できるのですが、しかしその時代を生きた 者として、あの当時の活動には勢いがあり、私の所属した大学でも私が入学したとき はすべての学部を全共闘系が握っていましたが、私が卒業する際には、すべてが我々 の側が握っていました。また総選挙でも常に倍々ゲームで躍進し、また赤旗には常に 役員選挙で勝利したとの記事が躍動していました。
 私などは近い将来必ず我々が権力を奪取すると本気で考えていましたし、就職後も 組合の役員選挙での多数派を獲得する事が使命だと燃えていました。
 こうした共産党の躍進に「水をさした」のが「新日和見主義批判」だったと私は思っ ています。従来から共産党は2本足の活動を掲げていましたが、どちらかと言うと大 衆活動を犠牲にしても党勢活動に力を入れていました。「新日和見主義批判」はこの 2本足の活動のバランスを崩し、党勢拡大こそが最大の自己目的である党活動に変質 させていったのではと私は思っています。
 話は飛びますが、私は就職後の党活動で地区委員等と話していて、その能力のなさ に驚くばかりでした。市会議員の質も全く問題にならない低い物です。それはすべて の活動が党勢拡大に矮小化されてしまったからだと思っています。(専従の地区委員 等も本当に力量のある人では無く失業救済事業のような形態になっていた。)
現在も市会議員の力量を他党派との関連で常にチェックできる立場にありますが、 共産党の力量のなさは目に余る物があります。(この間の選挙での後退はこうした力 量のなさも大きな原因だと思っています。)
私は大衆運動を忘れた共産党は歌を忘れたカナリヤの様に見えてたまりません。こ の弱点はすでに昔からあったが、新日和見主義批判が決定的な役割を果たしたと思っ ています。 樹々の緑さんはそれ以前の学生運動の弱点を通し新日和見主義者の人た ちに対し「未だにあの人たちは『主観の世界』の中に生きているのか、いい気なもの だなー」と書いておられますが、大衆運動と新日和見主義批判についてどう考えてお られるのか、その点をもう少し説明していただけませんか。