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教育問題 1/23付 一支持者Wさんへ

2005/01/27 樹々の緑 50代 会社員

 阿Qさんに「投稿をやめないでください」とお願いした後、再度投稿しよ うとして参照したところ、一支持者Wさんの上記投稿を拝見して嬉しくなりまし た。
 30代の、しかも現役教員の方が、あのような投稿をして下さることに、本当に 頭が下がり、かつ心強く思いました。別にとおりすがりNさんに対する内容だっ たから、ということではありません。あなたの論旨が、私が考えていたことをズ バリ指摘して下さっていたからです。

 阿QさんととおりすがりNさんの議論を横から拝見していて、まず感じたの は、お互いに「ゆとり教育」「教育にゆとりを」「詰め込み教育」等々の言葉が 意味する内容について、共通認識がないままに言葉だけを使って議論が進んでし まっている、ということでした。

 政府が進めてきた「ゆとり教育」に私が一番感じていたのは、それまで非 難の対象だった「詰め込み教育」が持っていた差別・選別の教育の歪みを、それ を通じて根本的に変更しようという姿勢が殆ど感じられないことでした。そ こにおける「ゆとり」とは要するに、露骨な言い方をすれば、「できる子は放っ ておいても積極的に発展学習をするのだから、受け手を選別できない普通教育の 現場では、時間及び内容と相関関係に立つところの『理解度』が劣る『できない 子レベル』に合わせて、それなりの教育をすればよい」というような考え方で す。
 つまり、それまでは、トップレベルに合わせて「詰め込めるだけ詰め込む」感 じでやってきたが、それについて行けずに「落ちこぼれる」者の不満や問題行動 が無視できなくなってきたので、「その他大勢のレベルに教育の平均的要求水準 を合わせよう」という発想です。

 しかし、「詰め込み教育」の本当の問題は、教育時間や教科数・内容の点 で「ゆとり」があるかどうかというような単純なことにではなく、一支持者Wさ んがいわれるように、「『全生徒への基礎・基本の学力保障』という視点が」な い点にこそあったのだと思うのです。そしてその観点は、記憶によれば、小 林栄三氏らが1970年代初頭から一貫して「読み書き・そろばん等基礎学力の充実 を」という形で主張していた、日本共産党の教育政策の根幹をなす部分であった と思います。
 「ゆとり教育」によって形の上で制度的に「改善」が進められ、それはそれ で、本当に教育を成り立たせようとする人たちからみても「利用できる制度が拡 大した」と評価できるでしょうが、上の本質的な点でどれだけ進歩したのかとい うと、私は疑問を禁じえません。ですから、一支持者Wさんがいわれる「『上』 の方々は、『民主勢力』『国民の声』(を)自分たちに都合のいいように『利 用』するのが大変上手だ」というご指摘にも、深く賛同できるのです。

 学生時代に教科書裁判の法理について学習した際に、「教育はそれ自体が、受 け手であり教育を受ける権利の主体である相手方の個性に応じて、その発達を保 障するという学問的実践であり、それはまさに憲法23条の『学問の自由』の一内 容である」という立場を学んで感動した経験があります。
 私自身の「受け手」としての経験を振り返っても、悲惨だった高校・大学時代 に比べると、人生で本当に大事だった中学時代は、たくさんの先生に「護られ・ 育まれていた」と、40年近く経ったいまでも感じ続けています。単に一教師だけ でなく、それぞれ個性は異なりながら、ある学校の「教師の集団」としかいえな いような人々の深いまなざしに、いまでも見守られている感じがしているので す。どの教科でも、戦後民主主義の第一期生らしい懐と先進性に満ちていた印象 の先生たちでした。

 それが今では、近くの学校でも処分者が出ましたが、「君が代・日の丸」強制 に始まり、教師の個性を押さえつけ、緩やかでありながら確信に満ちた教師集団 の形成はおろか、個々の教師を「取引上の競争の厳しさ」に直接晒すようなおか しな方向へと世論も誘導され、ひどい状況です。幸い、一支持者Wさんの学校の 評議委員会には、教育に対する見識に満ちた委員が多数おられるようでホッとし ましたが……。
 改悪策動が本格化している教育基本法にしても、何も変更の必要が感じられま せん。前文の格調の高さは、侵略戦争の深刻な反省から再起しようとする当時の 日本国民の決意を示しており、戦中期に吉野源三郎さんが「君たちはどう生きる か」に託した、「戦後日本を担うべき『少国民』への希望」に直接連なるものを 感じます。教育への「不当な介入」を排除した第10条を、教育「行政」への不当 な介入排除へと、たった二文字を付け加えるだけで 180度反対の意味にしてしま おうとする企てには、恐ろしささえ感じます。

 最後でとりとめがなくなりましたが、さまざまな運動が伸びているように、教 育は、今後の日本の民主主義の根幹に関わる分野であることを私たち「一般国 民」も充分に自覚しており、それぞれの立場にふさわしい形で発言し、直接教育 に携わる教員の皆さんと連帯して、教員への不当な統制攻撃に抵抗していく決意 を、お伝えしたいと思いました。