前後して申し訳ありませんが、Wさんの第2回の投稿の最後の部分のみコメントします。前段の問題については、だいたい私が考えていることと一致しております。是非頑張って先生をやって頂きたいと思います。
教員バッシングの中で教員への締め付けを問題視してくれる唯一の党が共産党であると感じられているそうですが、肌で感じる感覚なのだろうと思います。しかし、教育政策というともっと幅が広いようにも思いますので、これだけが共産党の専売特許ということも出来ないように思います。勿論それが理由で支持されることには何の問題も無いと思います。
ただ、まあ、目を覆いたくなるような『教員』というのも『居るんですよね』というのがニュースを見ていての実感ではありますので、そういう教師が批判されて必要なら首にしなければならないことは確かでしょう。しかし、それがやたらと報道されている背景には、恐らく、悪い教員を強調することによって『だから教員はこうあるべきだ』というモデルを作り、それに合う教師を作ろうというか、そういう政府や政権与党の画策に乗っているというのか、うまく利用されているというかそういう問題は確かにありますね。
それに対抗してくれているのが共産党という具合に見えるのでしょうが『国民感情』というものも政府を後押しする形になっているんで、やはり対抗するにはまともな先生方が大きな声を上げる必要があるのでしょうね。政府がそういうものを利用するのはけしからんという反応が今までの大方の反応だったように思いますが、それでは国民の支持が得られないという時代にあるというのが私の実感です。
大事な点は、恐らく、『まともな先生方』やそういう方々の様子をもっと天下にさらすことだろうと思います。女子生徒のスカートの中を覗くような馬鹿教師の事件が報道されたら、まともな教育をやっている真面目な先生の立派な教育実践の『お話』がその10倍ぐらい新聞紙上をにぎわせなければならないということです。馬鹿教師を抑制しようとアホな法律を作ることを非難することよりはるかに効果があると私は思っています。しかし、これには新聞報道を作るマスコミ人の関心の的がそういう方向に動いてくれなくては困るので、そこも色々普段から良く付き合っておくことが必要です。面白いネタ探しをやっている新聞人は、真面目な行動は面白く無いと見向きもしてくれないでしょうから難しいところではありますが、そこは工夫でしょう。
つまり対立の構図とは別に、国民が納得する・・・誰が見ても納得する実践によって理解を得るってことじゃないかと思います。
議論の場はズレますが、最近日本共産党は『北朝鮮に対する経済制裁』についても『可能性の一つとして否定しない』と大きく舵を切りましたね。先日の国会論戦を見ていて、この政策変更によって、政府との論争に深みが出たと私は感じました。自分達の固い主張だけを押し通して政府の政策の入り口のところで『反対』と言ってしまうと、それ以後は『ああ共産党は反対しているのね』と詳細な議論には入っていけないように感じます。で、『じゃあ日本が共産主義国家になってから議論してちょうだい』今は資本主義体制下での議論なんだから、それは置いといて現実的な議論をしましょうと、どんどん先に進んでいって共産党の意見を入れてゆく余地がなくなってしまってきていたんじゃないかと思います。おそらく、これが『何でも反対共産党』の中味でしょう。
これは憲法改正議論でも言えることで、今の憲法は素晴らしいし、私も良いものだと思ってますが、いくら良くともアメリカが作った憲法であることには違いが無く、出来てから60年も経っていることもまた事実です。当然平和は守りたいと思っている人だって、別の部分は変えたほうが良いところがあると感じる人が居てもおかしくはないし、現実にこの60年間日本が主体的に戦争をしたこともなかったのも事実。ならば、改憲の論争の中には絶対入る必要があるのではないでしょうか。最初に『改憲反対』とぶち上げてしまうと、あんたは改憲反対なんだから、改憲議論には入れませんよということになってしまう・・・ということです。入ることが良いか悪いかという議論もあるでしょうが、私は加わる必要があると思いますから『改憲反対』一本やりではなく、変えるべきところは変えますよと議論に入っていくほうが良いでしょうね。重要なのは文言が変わっても9条の趣旨を残すことでしょうね。
という具合に、頭にくることも多い昨今ではありますが、政治を考える皆様は『コト』を冷静に見つめてください。最初から頭に血が上って短絡的な悪態をつくと得られる成果も減るでしょう。
それからついでに書いときますが、教育問題はわからないがと書き始めたロム3さんへのコメントですが、私が重要だと思っている教育問題はわからないと言いつつ『赤旗だけは読んでおいたほうが良いでしょう』は無いでしょう。ロム3さんにとっては必要なのかもしれないが、私にとって必要というわけじゃないんですよ。赤旗が教育問題に重要な情報を提供してくれるなら読む意味があるってことなんですよ。逆なら無いってことなんですね。赤旗と反対の意見を持っていても、反対ながら有意義な論陣を張っていると理解できるなら読む意味はある。ただ反対しているだけで内容が無いと判断すれば意味が無い・・・、まあ、こういう理屈です。時節柄、自説の押し付けはごめんこうむりたいのですが、こういう感覚も共産党離れを誘導しているように思います。
重要なポイントは
1.論争において相手の説を批判することより、自説の有利さが理解できるように展開したほうが支持を得られる。つまり、相手をやっつけても実は問題は解決していない。
2.その結果、自説を実践した時に成果が得られなければ支持は得られない。自説の実践の結果が良くなかった場合理由を相手に求めても支持は得られない。
3.政党運動は自己満足のためにやっているわけじゃないということをわきまえるべきでしょう。いくら腹が立ったからといって、議論の相手をやっつけて勝利宣言などしても支持を得られるわけじゃない。その議論を見守っている多くの人々がそれをどう見るかを常に計算しなさい。
ヨーク考えてみてください。80年代の遅く無い時期に民主的な政権を樹立できなかった理由がどこにあるのでしょうか。