人文学徒さんへ
最近このサイトに参加させてもらっている「過去へのこだわり」です。私は樹々の緑さんが私が大学時代に経験した事を的確にまとめられていたので、ついつい発言したくなり顔を出してしまいました。人文学徒さんがおそらく私より年上だと思いますが、今もなお党の再生を目指し奮闘されている事に心から敬意を表明します。人文学徒さんが党のあり方に付いて議論を呼びかけられ、様々な意見が寄せられていることに喜びを感じられているのを見て、すでに20数年も前に党から離れた私が口を挟むべき性質の問題ではありませんが、私の考えを少しだけ述べさせて頂きます。
人文学徒さんが書かれた「日本共産党の惨状の本質にかかわって」あるいはさつきさんが指摘されている「民主集中制」の組織論批判等は私も見解を同じくする者です。
私が党と決別するに至った最大の問題は「科学の党」と言いながら内実は「信仰の世界」に落ちてしまったと感じたからです。具体的に申しますと党の支部会議党での議論が政治情勢や職場変革の課題では無く、常に対象者をあげて如何に拡大するかに明け暮れていたからです。議論はすべて結論が決まっており、宮本委員長の発言を引用した者が「勝」という様な議論に愛想が尽きたからです。ある時赤旗に今回の選挙では1千万票を獲得するとの方針が出ました。職場にはそうした客観的な情勢が無いにも関わらず、まさに「時期にかなった提起である。党中央はすばらしい」と発言する者がいました。その後はいくら議論しても無駄です。否定をした者は日和見主義と見られるだけです。こんな無内容な議論を毎日毎日行う事に私は絶えきれなくなりました。(直接の契機は労働組合運動に対する党の指導の誤りに反発したものですが)
現在の党の後退は、まさにこのさざ波通信で多くの方が批判されている様に、党内における自由な討論を保証してこなかった事にあります。それぞれの支部はそれなりの力量を持って戦いに挑んでいましたが、一番遅れた思想の持ち主が、地区委員であったり、市会議員であるという党の現状は下級は上級の決定に従うという党組織の原則との関連で極めて厳しいものがあります。私などが党活動をやっていたときは、如何に無内容な地区の指導を支部に持ち込まないで支部を活性化するかが最大の課題でした。
私自身は就職した際、民青同名は30歳手前の無気力な男女が占めており私はまず民青の若返りに勤め、数年で30数人の若者が結集する民青に育てあげることに成功しました。 しかしこれら民青の若者に求められるのも多くは選挙への参加であり、若者の要求実現とはほど遠い物でした。(私はこの時点で真剣に100名の同盟を作る事を考えていました)
この矛盾に絶えきれず、私は党を去りましたが、その後党勢は前進せず後退していますが、この時期参加した者が未だ戦いを継続している姿を見て「責任の一端」を感じている者です。
人文学徒さんの問題提起に答えて私なりの現在の党の惨状を作った原因及び党再生に付いての課題について書いて見ます。(すでに樹々の緑さんへの返信で書きましたが、私は党を離れて20数年経ちますので、事実関係や・認識に誤りがあるかも知れません。またさざ波通信の議論もすべて読んでいる訳でも無く、現在手元にあるわけでも無く、全くフリーハンドで書いています。間違いや失礼があった場合お許しください。)
党の惨状を作った最大の原因は、
1,系統的な党建設に失敗したこと
(1)赤旗拡大を党建設の要に据えた事
大衆運動こそ党の活力源だということを忘れてしまった事
(2)民主集中制という組織原則に大きな問題がある。
(3)批判の自由と行動の統一という原則を確認できなかった事
(4)幹部政策を持っていなかった事
(5)市会議員を市民の代表として働かせず、党の手足として利用してきた事。
2,民主連合政府を早期に作ろうとすべての国民に支持してもらえる政策へ変更したこと
(1)すべての方針が大衆迎合になってしまった事
最近では天皇制の容認発言や、イラクにおけるアメリカ帝国主義との戦いを過小評価している事、また拉致問題での北朝鮮に対する経済制裁を容認したこと。
3.他の民主勢力との共闘においてセクト主義があった事。(大衆との関わりを弱めた事)
(1)党の政策と、市長選知事選等との政策の違い弾力性が理解できなかった事。
(2)選挙戦の総括などで、党外の人には全く理解のできない総括を繰り返してきた事
(3)赤旗の広告を見ていても異常なほど不破神格化を始めた事。
(4)労働者前衛論に立ち、労働組合の要求をすべて容認し、労働運動と市民運動が衝突する際には、労働運動の要求を容認してきた事。
以上が私の共産党衰退の原因と考えています。(ただ私は現実主義者であり、私が見聞きした範囲でしか問題を捉えていません。とりわけ労働運動の下りは私が属する公務員の労働運動でしか問題を捉えていません。その点の異論反論が多くあると思うのですが、党を離れて20数年も経ち、この間、党文献等は全く読んでいない「過去の人」の戯れ言と思って読んで頂ければ幸いです。)
以下先の見出しに従って私の意見を述べます。またすでにさざ波通信で解明されている事に付いては重複の議論は避けたいと思います。
党の惨状を作った最大の原因は、
1,系統的な党建設に失敗したこと
(1)赤旗拡大を党建設の要に据えた事
大衆運動こそ党の活力源だということを忘れてしまった事
私は革命運動を成功させるためには、党建設は極めて重要な課題だと思います。共産党は党建設を赤旗拡大に矮小化し、しかもキャンペーン方式に変えたのが最大の誤りだと思っています。
党建設の根本は何処にあるのか、大衆と深く結びつき大衆闘争が高揚したときに党勢はのびるのです。共産党の歴史を振り返ればそのことは歴然とするはずです。安保闘争の盛り上がりの中で共産党は大きくなり、また学生運動の高揚期にも大きくなっています。
党中央の誤りは党建設だけを自己目的化したところに最大の誤りがあります。
党勢拡大の原則は、独自に追求しない限り党勢は拡大しないのでは無く党と大衆の結びつきを強めない限り党勢拡大はできないのです。(その上で独自に追求しないとダメという課題がでてくる。)
(2)民主集中制という組織原則に大きな問題がある。
この点については「さつき」さんの優れた投稿がすでにあるのでふれません。
(3)批判の自由と行動の統一という原則を確認できなかった事
これもすでに言い尽くされていますが、地区党大会での発言通告方式をやめるべきです。「貴方の意見のここは賛成だが、ここは違う」この訓練を積んでおかなければ大衆団体で戦う事はできません。(現在の共産党は議論する力が全く不足しています。)
(4)幹部政策を持っていなかった事
地区委員の構成党を見てもその地区での最大の指導的能力がある者が付いているとはどう見ても思えません。(何か失業救済事業の様に、どこかで首になったから地区委員になったと言う事例に遭遇しています)
これは具体的にあった事例ですが、我々の地区の委員がある地方公務員の現業職で採用された事例がありました。そこの職場の党に対し今まで地区委員の人が職場組合員になって心強いでしょうと言う話があった際、何の役にも立っていないと返事が返って来たのを覚えています。
確か地区委員会の事務所を清潔にとか、社会的常識を見に付けようとの方針が出たことを記憶していますが、私は最近共産党の議員応接室で話をしていた際、そのテーブルに苺が乗っていました。私と対応していた議員以外の議員がふらふらと入ってきてその苺をつまんで帰りました。(このような常識のなさが今でも行われています。)
(5)市会議員を市民の代表として働かせず、党の手足として利用してきた事。
上記にものべましたが、市会議員の能力のなさは他党派と比較した場合歴然とします。これは市会議員が新聞配達をし、集金にも周り、他の支部の指導を行うなど非常に過酷な労働になっています。2~3日前の赤旗にこの内容の記事がありました。(市会議員の任務を軽くする取り組み事例が載っていました。)また市会議員の候補者の選出もやはり失業救済事業的側面を持っており、そこが他党派との戦いの最大の場だとの意識がありません。
現在私は議会の度に質問を取りに行く立場ですが、質問があると言いながら、どのような内容か聞きに行くと未だ党から指示が無いと、何も答えられない姿を見て悲しくなります。(選挙の際、党の議席が増えれば00市がが変わると宣伝してきたことの重みをどう考えているのか、支持者に対する裏切り以外の何物でもありません)
2,民主連合政府を早期に作ろうとすべての国民に支持してもらえる政策へ変更したこと
(1)すべての方針が大衆迎合になってしまった事
最近では天皇制の容認発言や、イラクにおけるアメリカ帝国主義との戦いを過小評価している事、また拉致問題での北朝鮮に対する経済制裁を容認したこと。
共産党は民主連合政府では3%の独占資本以外のすべての国民が団結できると標榜しています。そのために、政策はすべて誰でもが支持できる物に変質しています。実際の共産党支持者は数%でしか無いのになぜこんな大風呂敷を広げるのでしょうか。誰かの投稿に天皇制に反対していたから共産党を支持していたとキリスト教の牧師さんの話がありました。今の共産党は多くの人に指示してもらおうと大衆迎合的な方針に変質し結局はコアな共産党支持者からも支持を失っている感じがします。
今の共産党の政策で一番わかりやすいのは、「生活がますます苦しくなっています。」です。ところがこの一番苦しい人たちはほとんど公明党に組織されています。共産党を現在支えているのは案外インテリでないかと私は思っています。その際大衆迎合路線は失望を招くだけです。
3.他の民主勢力との共闘においてセクト主義があった事。(大衆との関わりを弱めた事)
(1)党の政策と、市長選知事選等との政策の違い弾力性が理解できなかった事。
私はこの間の知事選挙等において共産党が敗北しているのは一つは政策にあると考えています。共産党の政策は弱者救済です。しかし国民の多くは、未来を見ているのだと思っています。その県をどう変えたいのか、市民の生活向上をどうして図るのかを期待しているのだと思っています。例えば老人はすべて貧乏というのは神話であり、貯蓄高1400兆円の半数が老人が保有しているとの数字を見れば老人すべて貧乏だけでは若者の心は捉えられません。むしろ若者の多くが安定した職業に就けず、200万や300万で働いているのです。これら若者の未来を保証する戦いが必要と考えています。
(2)選挙戦の総括などで、党外の人には全く理解のできない総括を繰り返してきた事選挙の敗北毎に無内容な総括に終始してきた事、私の記憶では最初は「反共攻撃が行われた」と言うのが主流でしたが、最近は「党の方針は正しかったが大衆が理解しなかった」というものです。
私は前々から反共攻撃が行われたから負けたという総括に極めて疑問を感じていました。「敵は待ってくれない、革命が起こるのに手をこまねいて見ているはずが無い」と思っています。共産党指導部のこの言い方では「反共攻撃をやめてください」とお願いしているにすぎないのです。しかも戦前の反共攻撃を知る者も少なくなり「反共攻撃で負けた」という主張はだいぶ「白々しく」なって来ました。各種案アンケート調査を見ても反共攻撃に一番弱いはずの60歳以降の共産党支持は厚く、むしろ反共攻撃が何か知らない若者の共産党離れが進んでいることが深刻です。
次に確かさざ波通信で2中総の批判が出ていたと思います。その中に「大衆が悪い」と言っているような物との批判があったと思いますが、私はこの事例に遭遇しこの総括は正しいと確信を持ちました。ある飲み会があった際、共産党員である者私の友人がが酒に酔って、「職場のみんなはバカだ、年金が削られるのに共産党を支持しなかった、こいつらはのたれ死にしたら良い、我々はその際、助けない」とくだを巻きました。やはり2中総を読んだ党員はそのような気持ちを持っているのだな、あの指摘はまさに当たっていると思いました。
(3)赤旗の広告を見ていても異常なほど不破神格化を始めた事。
最近の不破さんの動向を見ていると極めて個人主義の気がします。学者としての自分の名を残そうとされているように見えます。レーニンの批判をされていますが、「レーニン的扱い」を受ける事を望んでおられる様な気がします。
(4)労働者前衛論に立ち、労働組合の要求をすべて容認し、労働運動と市民運動が衝突する際には、労働運動の要求を容認してきた事。
この(4)ここからが私の本論です。私が30数年間地方公務員として働いて来た率直な感想を党との関連で述べさせて頂きます。
1.労働者階級の戦いこそが前衛であり革命を成功させる力があるという理論が現状に即しているのか私は疑問に思っています。
現在の大衆の要求は「市民」としての方が高揚があり、ここにエネルギーがあると思っています。確かに労働者階級の戦いが高揚すれば一番良いのでしょうが現在の資本との戦いで労働組合の組織率は下がる一方でまた戦う労働者が極めて少数になっています。この組織化こそ最大の課題でありこれから述べる私の議論はそこから逃げている(敗北主義)との批判もあるでしょうが私は労働組合の要求が必ずしも正しいとは思っていません。
2.上記意見と関連するのですが、公務員労働者の戦いに依拠する党活動から脱却すべきと考えています。私は現在党がどのくらい労働組合運動に対して影響力があるのか全く知りません。しかし少なくとも党は公務員労働者に対しては一定の影響力を保持していると認識しています。この公務員労働者の戦いは果たして英雄的な戦いが行われているのでしょか。私は極めて疑問に思っています。
今新聞紙上を賑わしている大阪市の闇手当事件を見れば判るように、労働者階級の要求が必ず正しいのかというと必ずしもそうでは無くいつの間にか大衆の気分感情から逸脱しているのではと考えています。大阪市の労働組合運動は党が指導してきた物ではありませんが、全労連系の運動もこの傾向はあります。
私は前々から思っていたのですが、党は解放同盟の利権あさりをもっとも批判して来ました。しかし我々公務員の要求は解放同盟の利権あさりと何処が違うのか常に疑問に感じています。解放同盟の運動が一定成功を収め同和地区住民の生活環境は大きく改善されましたが、運動は後退しています。道理の無いところ、要求の無いところ(一定要求がみたされた)で運動は発展しません。
公務員も同じです。やはり民間から見れば「天国」です。同時に「天国が保証」された今の公務員には戦う力は残っていません。後は今手にしている「利権」を如何に守るかになっています。
私が若い頃に考えていた「要求闘争」を通じて労働者の意識変革を図り、革命運動に参加させていくというのは図式主義であり、現実は解放同盟の運動が破綻したのと同じく労働運動も停滞してきています。
賃金闘争の際、門前で我が方の組合がこのような宣伝をで行っていました。「公務員の賃金を上げる事は、地域の経済の活性化を図る事です」と私はこの考え方は思い上がり以外の何者でも無いと理解しています。この理論は解放同盟が取ってきた議論と同じ議論です。「豪華な学校を建てている」との批判に対して彼らが言った事は、解放同盟の運動に学び一般の学校も豪華にすれば良いとの理論でした。(この彼らの議論を徹底的に批判した党が同じ理論を宣伝しているのは極めて奇異に感じます。)
また私は事実としても職員を高級に優遇すれば地域経済が潤うという論理は嘘だと思っています。もしこれが事実であれば、私は地方公務員の賃金は地域マネーで支払うべきだと思っています。もしこの提案をすれば大反対が起こるでしょう。実際は地域以外で消費されています。(昔の様に「握り」があった場合地域のパチンコ屋や飲み屋が潤う位だと考えています。)
3.現在議会での議論は教育改革に大きな争点があります。ところが党はこの議論には一切加わりません。それは多くの共産党員教師を抱えているからです。しかし父兄の教育に対する要求は本当に強い物があります。私は教員労働者の具体的現場は知りませんが我々公務員の現場を知っています。そこにはとんでもない知的退廃があります。できるだけ働かない方が美徳という大きな潮流があります。またノイローゼイの多さは驚くべきものがあります。おそらく教師の現場でも同じ事が起こっています。
我々公務員は当局側がしっかりせず長い間職員を教育する事を怠って来 ました。職員のほとんどの意識は労働組合の流す情報で組織されています。労働組合は毎日の様にビラを出し労働者を組織していますが当局は全く組織していません。
私は己自信労働組合の民主的改革に取り組んで来ましたが、その結果が職員をダメにしている現状を見て非常に心苦しいところがあります。
4.私は、これら公務員労働者の問題と戦うこと無く党は前進はしないと思っています。
こうした問題意識はすでに党にもあり、公務員労働者には「全体の奉仕者論」教員には教師「聖職論」が出されたと記憶しています。しかしこの方針はかけ声だけで現場では労働組合運動はやはり公務員の特権を守る物になっています。(大阪市の事例は極端にしても多かれ少なかれ同じ問題を抱えています)
なぜならどちらがより労働者の権利を獲得するかで自治労系と戦いを挑んでいます。大阪の衛都連が大きな力を維持できているのは、こうした要求党争で常に自治労をリードしてきたからです。これも昔話で恐縮ですが芝田進吾(?)が出された人間性と人格の問題や公務労働等に目覚めたものが結集しているのでは無く、あくまでどちらが我々を守ってくれるかの次元の戦いになり、その獲得した要求(特権)は結局公務員をダメにしているのです。(かつての解放同盟の運動がそうであったように)
ここでおもしろいエピソードを、私の娘も公務員です。しかも国家公務員です。大阪市のカラ残業事件が新聞に発表された際、組合からオルグがあり、「これからはカラ残業は認められない。残業手当がほしい場合はその時間帯まで職場で待機してください。」と主張したそうです。そうしたら昨日まで5時に帰っていた職員が残り始めたと言うのです。これが公務員の実体です。(この組合は共産党系です)
5.党は当面の支持者である公務員労働組合の支持を失う事を恐れていますが、遅れた意識の公務員改革を課題としない限り多数派は絶対に握れません。
この間党は、市会議員選挙あるいは市長選挙党で前進をしていません。私は市長選の大きな争点は市役所改革だと思っています。党は守旧派であり市役所改革を旗印に戦う事ができません。(公務員労働者に気兼ねしているため)
同じく教育改革も同じです。私は今の教育を巡る論争に対しては全く無知でありコメントできませんが、少なくとも教師集団の無気力さは実感しています。残念ながら組合運動が与えた否定的影響を無視することはできないと考えています。党は地域の教育改革にも臆病です。すべては労働組合の意向を尊重し、市民の怒り要求から離れてしまっていることに鈍感になっています。
私はこの間の選挙の後退はこうした党活動家がすでに社会的に受けいられておらず市民の批判にさらされていることが大きな原因と考えています。差し障りがありますので我々の給料や退職金の額を明らかにできませんが、すでに市民の方の生活の常識を越えた物になっています。私の職場の同僚が主人は銀行員として退職したが、同じ時に退職した公務員の退職金の額を主人に話す事ができないと言われたことを覚えています。
確かマルクスはチープガバメントを唱え公務員の賃金は一般の賃金より低く抑えるべきだと述べています。さらに公務員は特定の者がなるのでは無く、交代制にすべきだと述べていたように記憶しています(すべて不確か)
すでに公務員労働者は革命の前衛では無く、「特権」を守る守旧派になっています。すべての事実が明らかになった際、市民は絶対我々公務員を支持してくれません。
最後に党再生の道は何か私なりの考えを少し述べます。
1.この間の党の躍進した時の最大のポイントは何か
私は党の躍進は戦いと共にあると考えています。党の躍進は常に大きな戦いがありそこでの指導的役割を果たした時に党は躍進しています。とりわけ大阪での党の躍進は解放同盟との戦いの中で大きく前進しました。現在の状況は戦う相手が無くなり後退していると考えています。(悪い言い方をすれば、解放同盟とは運命共同体であったような気がします・・・大阪で沓脱さんが森下仁丹に勝った時のビラなどは配る方も恥ずかしい様なビラでした。解放同盟があたかも暴力団みたいな描き方をしたビラでした。)
党中央が言うように赤旗の部数が党の力のバロメーターでは決して無いと考えています。
2.戦うためには、階級対立が何処にあるのかを明確にする必要があります。
先の批判でも述べましたが、現在の党の方針は階級対立のせめぎ合いの接点が何か明確にしていません。イラク問題にしてもアメリカの「テロとの戦い」を明確に否定出来ず、イラク人民の戦いと連帯しようという呼びかけ運動ができません。これも古い話で恐縮ですが、ベトナム戦争の時は一般紙がベトコンと揶揄した表現になっていたのに対し党は英雄的なベトナム人民の戦いと連帯しようと呼びかけて来ました。今の赤旗の記事は一般紙よりも少しましな位で、イラク人民との連帯を呼びかけているとは思えません。これは全くの伝聞ですがヨーロッパのメディアがイラク人民の戦いをレジスタンスと報道していると聞きました。赤旗の「武装勢力」という表現は、国民に対してアメリカ帝国主義との戦いを呼びかけているとは思えません。
3.最後に私が共産党に見切りをつけた一つのエピソード
赤旗の拡大が日本革命にとって大事だとの説明の後、赤旗の料理の記事が他紙に比べ非常に評判が良い。ここが宣伝のポイントだと指導を受けた時、いかりや長助ではありませんが「こりゃダメだ!」と思ったことを今でも鮮明に覚えています。
人文学徒さん私の過去のこだわりを延々と書かして頂きました。貴方の期待されている文章と全く違うかもしれません。ただ私自身なぜ党を離党したのか、現在の党に対してどういう考えを持っているのか、自分の考えを発表する場が無く、悶々としていました。樹々の緑さんの投稿が私を誘発し、この散文を書かせて頂きましたが、樹々の緑さんの投稿が事実に基づき相当練られた上で書かれているのに対して、私の文書は思いつくままに書いたものです。これは時間を無駄に使いたく無いという私の横着さと元々樹々の緑さんの様な力量が無く、時間をかけてもこれが限界ですのでご了承ください。
最後の最後に人文学徒さんの論文に対して樹々の緑さんは丁寧に個々に反論されて居ますが、私は一言で「解党主義」だと思います。(レッテル貼りは戒めなければなりませんがわかりやすいので)党を早く離れた私が未だ党の再生を願い頑張っておられる人文学徒様に申し上げるべき事ではありませんが、その点が気になります。私は古い党員であり現在不破氏により否定されているレーニンが一番好きです。言い訳になりますが私は党に対して疑問を持ち離党しましたが、党に対する攻撃(打撃)は一切したことがありません。今回初めて自分の意見を言いました。(これが攻撃になるかも知れません)人文学徒さんの試論は「解党主義」的要素を持っておりその点が気になるところです。