阿Q様
私の問題提起に対して、またまた勇ましいご返事を頂きましてありがとうございま す。『「ゆとり教育」なるものが、受験一辺倒教育に対する国民の批判に折れてきた 政府の回答』という私の視点について、『こんな人がいるとは、ビックリ仰天です。』 とのことですが、それならそれで構わないのです。私は一市民、この掲示板は特定の 政党を支持する方々のサイトですからそれを良く考えてお話ください。ここでの回答 は特定の政党がどう対応するのかという見方もできますか ら。
私を『日本の官僚の独善と無反省を全く知らない甘い人なのか、それともその官僚 のお仲間なのか』といぶかるのは結構です。民間で働いていたって大学時代の友人が 官僚になっていたり、仕事で知り合った官僚だって居ますから苦労話を聞くことも容 易です。そういう友人が居ることが問題だというならまあ仕方ないですね。私も官僚 のお仲間だと思って頂いて構いません。
ゴミのような知識の詰め込み教育を許容するのかどうか、受験戦争に子供をさらす のがけしからんのか、こういう考え方は昭和30年代からあり『15の春は泣かせな い』という京都の蜷川知事のスローガンに多くの人々は感動したものです。最近でも、 テレビなどの媒体では詰め込み教育の問題は指摘されていました。特に私が鮮明に記 憶しているのは久米宏のニュースステーションでキャンペーンのように繰り返し報道 されていたことです。
勿論、批判は批判として意味があり、いわゆる詰め込み教育については私も問題点 があることは理解しておりますが、知識を得る作業というのは若いうちにやっておか なければならないということ自体は別に悪いことでも何でも無いと、最近になって新 しいことを勉強しようとするほどに苦労する自分自身の反省から考えていることです。 若いころ多くの英単語をもっとたくさん覚えておくんだったという気持ちは強いです。 英語で物を読む必要性に遭遇するたびにそういう実感がわいてきます。
問題は、多くを覚える必要があることを如何に若い人に理解してもらえるかどうか という点を教師や教育者はきちんと説明し理解を得る努力をしているかどうかという 点だと思います。そこをきちんとするには、まず覚えることや勉強することの面白さ を如何に上手に教えられるのかということが私たち大人の責任だと思うのです。一つ の方法は、覚えるべきことがいくら多くとも、その全体像をまずは子供たちの前に見 せることです。そのためには、あの評判の悪い薄っぺらい内容の無い教科書を何とか することは必須でしょう。検定不合格教科書などという面白い理科教科書を作ってい る先生方も居ますので、そういうものは参考になります。
要するに今は『公的』教科書には頼れなくなったということですね。なにも知識を 辞書のように羅列して端から覚えなさいと言っているわけではありません。わかりや すく内容を解説し、なおかつ必要な知識をちゃんと含んでいることが大事だと言って いるのですが理解できして頂けるでしょうか。問題は実質的な『知識の量』が問題だっ たのではなく、その知識を得るための目的を『受験のため』と考えて、多くの人が 『同じ知識』を『同じ量』覚えるべきだと思い込んでしまったことが問題だったので はないでしょうか。
これは教育を批判している方々に是非考えて頂きたいところです。議論にも値しな いアホな指摘だと思うならそれで結構です。私は、ここからは敗退しますからご自分 が正しいと信じる道を進んでください。
敗退まえにDNAを抽出してみせる実験について誤解を解く努力をしておきます。近 所の肉屋で買ってきた豚肉からDNAを抽出しそれにアルコールを加えるとDNAが白い糸 として目に見えるようになります。そんな当たり前のことをやらせてどこに意味があ るのかと阿Qさんは批判されました。他の皆様もそう思われるのでしょうか?少なく とも科学的社会主義をかかげる人々がそう思っておられるなら退廃といわずしてなん でしょう。別の批判の仕方ならともかく、誰がやっても同じ結果が得られる実験は意 味が無いとおっしゃるなら、世の中で科学を教えることは無意味だと言っているのと 同じでは無いでしょうか。そこはお気づきですか?
科学は、誰がやっても同じ結果が出るから科学なのです。もし、これを否定しさっ たら、物理学で物体の落下実験など無意味の代表でしょう。天体観測も無意味です。 誰がやっても同じ結果が出るのですから。マイケルファラデーという電磁気学者の 『ろうそくの科学』などという本でも読んでみてください。くだらいことが山ほど書 いてあるでしょう。ろうそくにコップを被せると火が消えるなどと言う実験もくだら ない実験の代表になるでしょう。誰がやっても消えますからね(笑)。
ところで、DNAを抽出して出た白い糸には生命の意味のかけらも無いとか・・・。 あなたは、こうおっしゃいました。
教材としても最低です。「ほらDNAが取れた!」と喜んだところで、そ れはDNAとしての機能を示さないのだから、何の意味もありません。「へえー、これ がDNA?そんで、遺伝情報はどこに書いてあるの?」書いてありゃしないって!
あなた自身がDNAの本質をまったく理解していないってことを白状しているような もんですね。そういう方が知識を得ることの重要性を批判することは天に向かって唾 しているってことです。こんな間違った認識を持っている大人にならないように勉強 しましょうと反面教師として子供たちに示したいですね。そんな批判に乗っかったど こかの官僚がアホだったということになるのでしょう。DNAを教えることを指導要領 から削ったのですから、あなたの主張とぴったり一致しているじゃないですか。
阿Qさんの文章のどこに間違いがあるかわかりますか?『遺伝子』が物質であって、 抽出したDNAでもちゃんと機能を示すという事実がこの50年間の科学研究で明らか になったことですよ。まともな教育者なら正にそこで、どうやったらDNAの機能を調 べられるのか?という問いを生徒の前に提示するはずです。実際、抽出したDNAの生 物的な機能を調べる方法があるからこそ、組換えDNAなどの問題が出てきたわけでは 無いでしょうか。遺伝子が物質に過ぎないという事実を理解するには抽出実験はなか なか意味があると私は思っています。
DNAを抽出するだけなら、中学校の内容でしょう。この抽出したDNAで遺伝情報を解 析することが出来るんだということを教えるなら、高等学校の内容として良いでしょ う。さらに、実際に情報を取り出す実験をするなら、大学での教育で教えるのが適切 だろうと思います。が、いずれにせよ、抽出した『綿ぼこり』のような白い糸の持つ 意味を考えるなら、やはりその抽出実験ぐらいやってみたらよいだろうと思います。 受験などということとは関係がありません。
もし、これが下らないというなら、一つで良いから、高等学校や中学校でやるべき 生物学実験のサンプルを示してください。そして、それについて議論しましょう。他 人のやることを非難することは簡単です。しかし、実際にやるべきことを提示するの は大変に難しいものです。苦労してみてください。