とにかく、正々堂々と議論をするのでなく、「新聞は事実を伝える」と信 じている読者に、顔を隠してこそこそと相談した連中がこねあげた改憲案を、 「これこそ日本人がもつべき憲法だ」とばかりに新聞に掲載して押し付けるよう な連中が主導する違憲論議を、黙って放っておくことは、自分の子供だけでなく 将来の全ての子供達に対して相すまぬと思います。だからそちらに全力を注ぐべ きだと思うけど、私は議論を中途半端に終わらせるのはいやなので(これまで散 々尻切れトンボのままにしてきたけど)、憲法にからめて教育について粗雑な私 見を述べます。
Nさんはファラデーに言及しておられました。「ろうそくの科学」を読んだの は40年も前なので、ファラデーが実験を始める前に聴衆に質問をしたかどう か、覚えていません。しかし少なくとも、あのクリスマス講演に集まった人たち の一部は実験の前に自分の予想を立てたでしょう。ある人は「ろうそくの炎は、 中心に近いほど温度が高く、周辺に向かって低くなるだろう」と予想したかもし れません。
そしてファラデーが炎の中に棒を差し込むと、中心部ではススが付いた。つま り、燃えてなかったということ。そして炎の頂点で最も温度が高かった。そこで 聴衆は、この結果を踏まえて最初の予想に戻り、それを再検討します。
そして他の実験も組み合わせて、個体や液体のままでは燃え難く、蒸発してバ ラバラの分子になることにより酸素と結合しやすくなり、完全燃焼することを理 解します。
しかしファラデーにとっては、そんなことは初めからわかっていたので、彼に とってはこれは実験ではなく、デモに過ぎません。しかし多くの聴衆にとって は、予想に反する結果を見せられて自分の先入観を否定し、事実に基づく理解を 得るきっかけとなったので、立派な実験といえます。
私が「実験の名に値しない」と書いたのは、当然「実験というのはもっと深い 意味を持つもので、そんなものは実験と呼ぶべき内容を持っていない」と理解さ れるものです。「名に値しない」というのは、そういう意味です。それを理解せ ずに、私が実験一般の意味を否定したかのように解釈するのでは、日本語を理解 しているか、疑われます。
「知識は多ければ多いほど良い」という、ちょんまげを切り落とし、なれない 洋服を着て西洋人の真似に懸命だった百数十年前の日本人のような、「進んだ知 識を取り入れて、追いつき追い越せ」精神が、明治時代はそれでよかったけど、 現代では創造性を殺し、日本をだめにしました。
例えば、太陽の位置(黄道など)の観察も星空の観察もしたことがなく、ひた すら先生に教えられたことと家で本から吸収した知識で、「天動説は間違いで、 地球が太陽の回りを回ってる」「太陽のような恒星が無数に集まって銀河が出来 ている」「銀河も葉巻状の銀河や渦巻状など、様々なものが無数にあり、それで 宇宙ができている」「宇宙にはブラックホールがあって・・・」などと覚えて、 すらすらとしゃべる小学生は、優れた科学者になるでしょうか?そういう子供は テレビクイズに出場するくらいがせいぜいでしょう。
そんなものは科学じゃない。そんな、自分で確かめたこともない知識を詰め込 めば詰め込むほど、自分の頭で考える力がなくなります。「せんせい!おかしい と思います。地面は動かないし、その上で動かない家の中にじっとして太陽を見 てると、僕は全然動かないのに、太陽が少しずつ動いてゆきます」と言い張る子 供の方が、よっぽど有望です。
そういう「すなお」でない、ガンコな子供ほど、実験が大きな力を発揮しま す。一定の速度で直線コースを滑らかに走る列車のなかで、窓の外を見ないで 「動いている気がするか?」と質問する。また、ボールを上に投げ上げて、動い ている列車の後方に落下するか、確かめさせる。そして、「動いている気がしな い」ことは、静止していることの証明にはならないことを納得させる。
更に、太陽の動きと惑星の動きが全く違うことを観察させて、太陽と惑星が同 じ種類の星ではないことを教える、などなど。このように実験・観察・考察を組 み合わせて理解を深めるのが科学というものです。やたらとたくさんの知識を詰 め込むことは、そのような頭の働きをにぶらせます。必要最小限の知識しか持た ないほうが、実験の意味をよく理解でき、次の課題に進んで発展することができ ます。物知り自慢になるための余計な知識は、発展的学習には邪魔!
そのような批判を無視して散々詰め込み教育を続けた挙げくに、在る日突然 「ゆとりだ」と言い出す。しかも、かつては「塾などにやって余計な勉強をさせ ないで下さい」と言っていた学校が、口では言わなくても「まともな学力を身に つけさせたかったら塾にやりなさい」という態度に180度転換する。これが許 せない、と私は言っているのです。
そんな無責任なデタラメな教育政策により、教師達も混乱しています。教育現 場を混乱させた役人達の行為は、重大犯罪であると、私は断言します。しかも 「心のノート」などといういかがわしいものを押し付けて、子供達の心の中まで 操作しています。更に「できるだけ多くの生徒に理解させる」という課題を放棄 して、「できない」子供を切り捨てることで、子供達から希望を奪っています。
人生に希望を持てない若者を大量生産し、引きこもりや集団自殺や「自分が死 ぬ前に親を殺す」などという、かつては想像も出来なかった現象が生まれていま す。かつて将来への希望の象徴だった憲法と教育基本法を半世紀に渡ってないが しろにして、「普通の国民」の希望を奪ってきた保守政治と右派が、若者達の異 常な犯罪や子供の非行は「戦後教育のひずみの現れだ」などと言って憲法や教育 基本法を改悪するための口実にする。ふざけるな!!
私が前に「学力問題は、もう意味が無いかもしれない」みたいなことを言った のは、そのことです。道徳だけでなく、個人の尊厳ということも含めて、教育を 全面的にひっくり返そうとする連中が支配を確立しようとしているのです。こう いうとんでもない悪党どもを許しておいて、教育政策に反対する人の考えがどう の、共産党の発言がどうのと、細かいケチをつける人は、どういう世の中に生き ているつもりでしょうか?今、目の前で起きている、様々な重大な事件や世の中 の動きが見えていないのでしょうか?(共産党への批判は、私は山ほど持ってい るけど、今はそれを言う気になれません)