W さんへの回答として書かれていますが重要な点に言及されているので割 り込みます。私は、そもそも、30年親しんできた赤旗の購読はやめようかと思 い、その前に今共産主義を信じる方々が何を考えているのだろうと思いながらこ こを覗いてみたのです。投票でもホントに律儀に30年間共産党に投票してきまし たよ。
70年代でしたっけ共産党が大勝した時期があったじゃないですか。それでも過 半数をとったわけじゃないからたいしたことが出来ないのはいたしかた無いとし ても、期待はずれだったんじゃないでしょうかね。どう期待はずれだったのかに ひとつの興味がありまして、色々考えていたのです。それは朝鮮問題であり、教 育問題です。それ以外にも科学技術行政やら、経済政策も考えています。
批判者としての共産党の役割は重要ですが、その主張が正しければ為政者は、 それを取り込むことをするということでは無いかという問題があります。憲法問 題で言えば、自民党ですら『戦争放棄』という条項を表立って批判することは大 変慎重です。過半数の国民はこれを支持しているからです。従って、これは維持 しながら、自衛隊の海外派遣をいかに可能にするかの策を練っているのでしょ う。その中でただ『憲法9条』を維持しろみたいなスローガン『だけ』では戦え ないでしょう。これもこの掲示板では大反発を招くと思いますが、ま、頭を冷静 に冷やして考えてください。
教育問題でも、共産党も民主的教師も識者も、詰め込教育批判をしてきたわけ ですが、批判をしているうちに『何だ方向としては実現してるじゃないか』とい うことになってしまったんだと思うのです。それがゆとり教育であり、教科書の 軽量化だったように私は感じるのです。
あくまでも政府批判にこだわる人は、そうは『思いたくないのだな』というこ とが今回の議論で良くわかりましたが『詰め込み教育』と別の視点で『知識』の 意味をヨーク考えてみてください。阿Qさんは、私の反論のうちご自分の都合の 良い部分だけ反論を書いて私を『詰め込み』主義者として描きたいのでしょう が、そうではないことを何度も説明したとおりです。
阿Qさんはこう書かれました。
『基礎知識は身に付けなければ何も始まらない』とおっしゃるわけですね。そ う言いながら『頭に詰め込む必要は無い』と同時におっしゃり、『基本を活用す ればいくらでも収集できる』ともおっしゃる。ホントなの?というのが私の疑問 です。たぶん阿Qさんは子供の目線で考えたこと無いのではないでしょうか。そ う簡単に子供たちが勝手に基礎知識を拾ってくるわけじゃ無いだろうと思うので すよ。いかなる民主的教師も九九だけは丸暗記させているのです。従って、あな たがこう言うなら基本の範囲と、それをどうやって身に付けさせるかのプログラ ムをきちんと提示しなければならないのですよ。まさに民主的教師の弱点はここ にあり、このプログラムを示すことができなかったんじゃないかと私は考えてい るのです。つまり、スローガンは受けたけれども、具体策を提示することが出来 なかった、ということにもなります。今では有名になった授業前の5分間練習、 100マス計算、漢字書き取りテストの実践がありますが。阿Qさんはおそらく これに批判的でしょう。一時は民主的教師達にだいぶ批判されたと聞きます。で も、こういう取り組みが確かに子供に基本を身に付けさせていることは間違いな いと私は思っているのです。
上で紹介した阿Qさんのフレーズは、大学教育に当てはまることで、小学校の 低学年の子供の教育では無いと思いますよ。このようなやり方をしようとしてい る小学校の教師はいわば頭でっかちの理想論で、小学生に大学教育をやっている ようなものです。それで結局総合教育もゆとり教育もうまくいかなかったんじゃ ないかというのが私の総括です。これでも私が阿Qさんの揚げ足を取っているだ けだと感じるのなら、民主的教師に期待するものはもう何も無いでしょう。阿Q さんの主張が民主的教師に共通するものなら・・ですが。
リファレンスを利用する教育が成されていないと書かれましたが、その点につ いては現状を正しく見ていないんじゃないでしょうか。今まさに政府はIT教育を 推進してインターネットを使うことを巨大コンピュータ産業といっしょになって 進めているじゃないですか。あなたの主張とぴったりですよ。そして子供たちに 身についたのでしょうか?これは意外にうまく行くかもしれませんが、結局教師 のほうが遅れているという批判が逆に出ているくらいですから。私はちょっぴり 批判的に見ていますが。
戦後60年という時を経て日本は共産主義国家とはならなかったけれども、そ の主張は部分的とは言え受け入れられてきた部分もかなりあるというのが私の実 感なのです。多分こういうものは認めたくないのでしょうね。だから、赤旗もつ まらなくなってきたなと感じるのでしょうね。