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教育の問題については幅広く議論してください

2005/01/05 とおりすがりN 50代 会社員

「教育基本法の改悪」なんてこのサイトに登場する共産党員の先生が提案されているのではありません、カッコつきの「ゆとり教育」なんてのも時の政府が押し付けて来たのであって児童・生徒や先生や保護者が要求したものでもありません。

 やはりこういう反応ですか。ゆとり教育は時の政府が押し付けたものだという理解なんですね。何をやろうと政府がやったことは生徒や先生、保護者が要求したものではないんですね。政府は日の丸だけを押し付けて戦争へひた走る存在ですか。そう理解しているなら私は何も申しません、どうぞその視点で闘ってください。私は教育基本法のことについては何も申しておりませが、教育課程には大変興味を持っておりますし、批判的に見ております。生物の科目からDNAを教えなくて良いとした改定は最悪だったと評価しております。

 思えば1960年代後半から批判されてきた受験一辺倒の教育というものへの国民の批判への一つの回答という形がゆとり教育として文部省が折れてきたものという私の理解とはかなり違うものですね。ま、とおりすがりなんで、これ以上言うことは止めましょう。でも、このあたりをもっとキチンと革新勢力が総括しないと、一般市民の支持は得られないでしょうし、結局全ては石原都知事のような巧妙な指導者に丸め込まれてしまうでしょう。

 PONさんは『公立が私立に負けたから、教える量を増やせというニュアンスが強く感じられます。』とのご感想ですが、そういうわけではありません。私も教壇に立ったこともありますし、今でも立つこともあります。教壇と言っても色々ですが。学問をすることは好きですし、考えることも議論することも好きです。しかし教育の専門家ではありませんので教育については素人を自認しています。

 その素人の目で人間が物事を覚えたり、賢くなったりすることを考えてみるのですが、人間というものは面白いとか興味を持ったことというのは結構没頭して勉強して玄人顔負けの知識も身に付けます。しかし、興味の無いことを勉強しろと押し付けられれば反発も手伝って、徹頭徹尾わざと勉強しないということもやります。また、遊びたい時には勉強がわずらわしくなってサボろうともします。とかく人間とはかくも難しい生き物でありまして、さてどうやって教育を考えたらよいのだろうかと本当にわからなくなります。しかし、それでも頑張って考えてみて一つ私が感じるところは、いわゆる『勉強』は、皆やらなくて済むならやらないでおこうと考えている人々が平均的なところだとすると、100教えようとしても50教えようとしても所詮80%程度まで覚えたところで止めちゃうんじゃないかという気がするのですよ。ならば、50を完璧に覚えなさいというのは理想的ではあっても、結果は悲惨なものではないかという気がします。それが100教えるか50教えるかという内容だと思っています。

 また、知識の詰め込みというのも、どれだけ詰め込んだかということを試験で測ることさえ除けば、知識は多いことにこしたことはないと思いませんか。考えることが重要だと言っても、考えるには知識が無ければ何を考えるというのでしょうか。そこを良く考えて欲しいのです。一つ良く考えていただきたいのは、このフォーラムで共産主義の優位性とか資本主義社会の矛盾のような話が議論されていますが、かなり知識の量が限定されているようには感じませんか?言ってしまえば社会主義が優位だとする知識はかなり多いが、社会主義がもたらした問題などに関する知識が圧倒的に不足しているように感じます。そんなことをつらつらと考えております。

 30年続けてきた赤旗の購読もそろそろやめようかどうしようかと考えて通りすがりに皆さんの意見を色々聞いてみたかったので書き込んだだけですから、別に未練もありませんので、仰せに従って敗退いたします。