あなたが言われるようにドイツ共産党ではなくてドイツ社会主義労働者党が正
しいのです。私はドイツ社会主義労働者党という名前で使うかどうか迷ったので
すが日本共産党と比較しやすくするために、ドイツ社会主義労働者党がドイツ共
産党の前身であるですからドイツ共産党として使いました。アバウトで書いたも
のでした。
正確には1874年アイゼナハ派とラサール派が合同するときに出された綱領
がゴータ綱領ですが、党名は「社会主義労働者党」でした。1890年にハレ大
会が行われドイツ社会民主党に党名変更しました。ドイツ社会民主党は91年に
エルフルト綱領を採択します。だがエルフルト綱領に批判的だったエンゲルスは
16年前のマルクスのゴータ綱領批判をリープクネヒトや党指導部の反対を押し
切って公表しました。(レーニンもエルフルト綱領をロシア社会民主党の綱領に
しようかと迷った時期があります。)
明るい共産党をつくる会 様は
『エルフルト綱領には「労働者階級は政治的権力を持つことなしには、生産手段 の全体の所有への移行を実現することはできない」と書かれてありこの点でもお かしいとおもいますが』
と問われておられますが、問題の本質はそのような移行が戦い(暴力)によって
勝ち取られるのかそれとも自然にそうなるのかということでしょう。おそらくは
この問題をどう捉えるのかが共産主義者の試金石だと思います。
エンゲルス自身は、
「エルフルト綱領批判」の中で
「ザリガニが成長してその古いから殻を破るようにこの社会も成長すると、必然 的にその古い社会制度に入りきらなくなりこの古い殻を力づくで打ち破らなけれ ばならなくなるのではないか」とは自問しても見ないのである」
ここには平和的移行に対する微塵の期待すらもってはいけないことを言ってい るのでしょう。
「こう言う状態から合法的な道によって、共産主義へ移ろうとする「自己欺瞞」 がドイツの中に蔓延しようとしているが、これではいけない」
とその合法主義を厳しく批判しています。
これは日本共産党に対する批判でもあるでしょう。
「さて諸君よ、諸君はこの独裁がいかなるものであるかを知りたいのであるかパ リコンミューンを見よ。それこそはプロレタリアートの独裁なのだ・」(「フラ ンスの内乱」エンゲルス。岩波文庫p・173)
さて議会選挙の問題です。
80年代にドイツ社会主義労働者党はブルジョア諸党がいろいろの分裂してい
る中で議会で最大の議席を占めたという記述をマルクス「ゴータ綱領批判」仲山
良介著p.84で見つけました。正確な資料を調べる時間のゆとりがないのでこの
あたりで許してください。
だがこのさざ波通信でも原千作様が調べておられます。
「1893年の・・・・」2004/12/17 原 仙作様
「このような選挙制度のもとで獲得したSPDの議席は、エンゲルスによれば、 第1次投票では24議席、第2次投票(決選投票)に残った85名のうち20名 が当選しました。つまり、合計で44議席になるわけです。得票数は178万、 得票率は「全投票数の4分の1以上」(共産党の理論・政策・歴史」討論欄)」
アバウトをやめまして、
「ドイツ社会労働者党は1880年代に第1党の議席を獲得した」と訂正しま
す。
要するに私が言いたかったことは議会を通じての革命はないということを言い
たかったのです。この点では原千作さんと違う考えを持ちます。
「エルフルト綱領批判」、「フランスの内乱」はいま読書中ですので、エルフ
ルト綱領についての私の考えを述べるのはもっと後にしたいと思います。