樹々の緑さん、しっかりきちんと説明していただければ、良くわかります ね。小柴先生批判も自由ですが、その真意ももっとしっかり書いていただく必要 はあるでしょうね。高校生さんからの批判にもありましたように、しっかり勉強 しようと思っている子供達には小柴さんの言葉はずしんと響きますし、樹々の緑 さんの言い方にむしろ傲慢さを感じることでしょう。
大筋においてはおっしゃることの意味は理解しました。今や教育問題とい うのは『スローガン』で『何々教育反対』では通用しない時代に入っているとい うことを私は痛感しているのです。また『何々に反対』と叫ぶことより、『こう いう教育をやった』ら子供に『こういう力がついた』という具体的な実践を語り あうことが大事なんじゃないでしょうかね。そういう意味で『子供が主人公』な どという言い方は私は今や意味が無いスローガンだと思ってます。おっと、樹々 の緑さんへの『意味が無い』と書いた批判は、共産党の大枠の方針を言っただけ じゃ何も具体的な取り組みはわからないという意味で書いたことでしたので、こ こで言う意味が無いとはちょっと異なるのですが・・。いずれにせよ、キチンと 書いていただくことは大事です。覚えるべき時期に少々子供が嫌がっても覚えさ せるということは大事なのです。それが小柴先生の『詰め込み』の真意で、それ を支持する人々は今や大変多いのでしょうし、それが子供が主人公と矛盾などし ていないと私は思います。むしろ、子供が主人公という甘い言葉でさそって子供 が好きなことだけをやれば良いというような態度はむしろ子供を馬鹿にしている だけなのではないでしょうかね。
『これで推測がつくかとも思いますが、「百ます計算」を「年齢で区別して適 用する」という発想は、・・・・。』ということは理解できました。私も自分の 経験を語ったのは、小学校の6年までは計算練習がかなり効果的だということを 言いたかったわけで、塾の経験とも合致しますね。しかし、中学校での落ちこぼ れが問題になったときに私が感じたのは、やはり計算力が無いということがかな り問題なんだろうなと感じました。割り算の計算法、分数と分数の割り算、など が理解されていないと先生の言うこともわからないわけですから、当然落ちこぼ れます。その場合は、やはり計算練習に立ち戻ってみるということで、そのため には、そういう子供達に対する個別指導というか、そういうものが出来るような 教育の体制を作ることが重要で、先生の削減ばかりに腐心する政府のやり方には 当然問題があるわけで、そこは共産党あたりに頑張ってもらうことが必要でしょ う。
学校はむずかしすぎることを教えてけしからんという論調が一時台頭しました が、むしろ、難しいことに子供達はもっとチャレンジしてみなさいというべき だったのでは無いかと今では考えています。『サインコサイン何になる・・』と 歌われましたし、それを大真面目に言う人も居ます。しかし、何にもならない ゲームに興じるぐらいなら、サインコサインを学ぶことは同じくらい面白いとい うことを教える先生が居ても良いんじゃないかと思うのですよね。勉強は面白い ことなんだということなのだと思いますが・・。言わば究極のゲームですよ。
『詰め込み教育』という言い方は、1960年代あたりの『受験戦争』から問題視 されたことだと思いますが、今の『ゆとり教育』の問題はその帰結ではないかと 思っています。そういう意味では大変長い時間をかけて到達したわけですが、一 貫して『詰め込み』教育というもに対する批判はあったと思いますし、私自身も 批判していたことも確かです。しかし、社会情勢の変化ということがあって週休 2日問題や総合学習が導入されたりしたこともあって、言ってしまえば『詰め込 み批判』が勝ったわけで、いざ、批判勢力が語っていた理想が実現してみると、 その実施が如何に難しいかということがわかってきたのでは無いだろうかという のが私の今の感想なわけです。
つまり総合学習というものを目の当たりにしてみると、子供達に知識が無い段 階でいくら総合を語っても、内容は深まらないというもどかしさといいますか、 無駄な部分が目についてくるように感じたということを指摘しておきたいと思い ます。そして、もう一つ大事なことは、総合学習というのは実は大学でやってい る授業にはそういうものが多々あるということで、小学生に大学生の向け授業を やっているようなものという考え方にもなってきました。
日教組を引き合いに出したことに対して、こういう批判は社会党に言うべきも のかもしれませんが、社会党が頼りにならないのは先刻ご承知でしょう。無内容 な党でありますから。また、既にここでも私はこっぴどく批判されたように、共 産党支持者の方々も陰山先生の試みについては快く思って無い方も多いのではな いでしょうか?そこを問題にしております。当然この党の支持者の方々も日教組 の大会には出ておられるんじゃないでしょうか?問題は、私が言っていることの 内容を吟味することではなく、単に共産党や共産党支持者への批判と捉えるとこ ろに偏狭さを感じるわけです。
私も、そろそろ退散しますが、私が発言した趣旨は、時代が変わりつつあると いうことを皆さんがどれだけ実感しておられるかどうかを知りたかったというこ とが根底にあります。教育問題はその重要な一つですが、朝鮮問題もしかり、憲 法問題もしかり、色々なポイントを総合的に皆さんが考えておられるかを知りた かったということです。スローガンを乗り越えて具体的な課題をどう解決するか という問題に立ち至ると、典型的な戦争反対だけのスローガンではもう国民をひ きつけられない時代に入っているという印象を持つわけです。ここだけを取り出 して私を批判してくださることは多いに結構ですので、それはそれで甘受します が、第二次世界大戦規模の戦争に戦後60年幸いにして日本は巻き込まれませんで した。それが日本共産党のおかげだったのだという議論もあるでしょうし、それ も確かにあるようにも思います。しかし、これからは、それだけでは通用しない 時代になってゆくのだろうなという印象を強く持つしだいです。共産党のビラま きには若い方が居ないということがそれを物語っているのです。