投稿する トップページ ヘルプ

一般投稿欄

私もそろそろこの件から退散しますが~2/19とおりすがりNさんへ

2005/02/21 樹々の緑 50代 会社員

 やっと会話が通じた感じですね。

> 小柴先生批判も自由ですが、その真意ももっとしっかり書いていただく必要はあ るでしょうね。高校生さんからの批判にもありましたように、しっかり勉強しようと 思っている子供達には小柴さんの言葉はずしんと響きますし、樹々の緑さんの言い方 にむしろ傲慢さを感じることでしょう。

 これは何のことでしょうか? 私はこのサイトへの投稿で小柴先生を批判した ことはありませんし、私の前投稿のどこが、「傲慢」に感じられるのでしょうかね。 かっこ付きにした「訓練」という比喩ですか?
 なお、小柴先生は、確か、「スーパーカミオカンデ」に莫大な予算をつぎ込むこと の意味に触れた発言で、基礎学問の重要性について力説され、同時に、基礎教育をお ろそかにしないよう訴えていたように記憶しています。その主張には、肯ける点が多 かったように記憶しています。
 同じようなことは、確か、堀尾輝久先生が「天文学の学問的意味」というようなテー マで、どこかで話しておられたように思います。

> 勉強は面白いことなんだということなのだと思いますが・・。言わば究極のゲー ムですよ。

 ちょっと感じ方は違いますが、一定年齢層への導入として、このような感覚で 指導することは、有効だと思います。
 ただ、私がいつも思っていることは、勉強の楽しさを「ゲーム感覚」で捉えると、 「他者を蹴落す楽しさ」もその中に入りうる、そして、その行く末に、一流大学を出 て、複雑な行政に無知な「下々の愚民」を支配することに快感と「日本を背負って立 つ使命感」を覚えるような人格ができはしないか、ということです。
 その意味で、「教えるとは、希望を語ること、学ぶとは、誠実を胸にきざむこと」 という(ルイ・アラゴンの)言葉が一人一人の胸の中にしっかりと収まるようにする ことが、基礎教育を始めすべての教育の目標であるべきだと考えています。その「楽 しさ」は、直接的には苦痛さえ 伴うことがあるけれど、深い「人生の楽しみ」をも たらすはずです。

> 言ってしまえば『詰め込み批判』が勝ったわけで、いざ、批判勢力が語っていた 理想が実現してみると、その実施が如何に難しいかということがわかってきたのでは 無いだろうか

 これは、はっきりと違うと思いますね。従来の「詰め込み批判」の論者たちは、 同時に「基礎教育の充実を」と訴えていたはずなのです。
 それを、旧文部省の寺脇研(?)氏らがうまく逆手にとって、自分たちの都合のよい 「ゆとり教育」の実現に利用してしまった、と評価すべきではないでしょうか。もち ろん、このようにつけ込まれる弱点がなかったとは思いませんが、とくに共産党系の 人たちを指して(そうしていたのは、あなたではなかったですか?)「基礎教育の重 要性を看過した」とは言いにくいだろう、ということです。

 とおりすがりNさんが、単なるスローガン的な運動では、もはや運動を発展させる ことはできない、とおっしゃっていることは、その通りだと思っています。