長文になりますが以下
坂之上の雲 1
司馬遼太郎はもともと好きな作家だったのです。「天皇の世紀」と「街道を行く」
は読んでいないがたくさん読みました。同じ作家の本を何冊も読むとしまいにある種
のパターンがあるのに気がつきます。松本清張にしても飽きるほど読みました。最近
は宮本照をたくさん読みました。だがみんな飽きてしまいました。
司馬遼太郎の小説に感じることは、講談的な立志偉人伝の感じが多いということで
す。「竜馬は行く」もそうです。風雲をもたらす人物像、それを英雄といったのです。
この作家には女性が書けていません。女が書けない作家に夏目漱石もいますからいい
のですが、デリカシーに欠けると思うのです。というよりも彼の場合は女性蔑視すら
感じます。
勿論小説は思想を生で表現するものではありません。彼のものの見え方、見方に現
れる思想性のことを私は言っています。つまり彼がどの視点に立っているかとい言う
ことです。よい文学や芸術ほど予断によって物を描くのでなくあるがままに物を見て
描くと思います。ところがあるがままに見えているようでその人の階級、立場によっ
てものの見え方が違ってきます。
もしも誰かが車椅子に乗って生活をすることになったら、立って歩いた頃と周りの
見え方がまったく違うでしょう。そのように目の位置が上下するだけでも世界が変わ
ります。彼の視点には上昇志向の目を感じます。それが人気作家に彼をさせてきたの
です。1970年代から2000年までの戦後日本資本主義の繁栄時代にこのような上
昇志向が日本全体を包んでいましたが、今ではそのような考えはもう古いでしょう。
再びあのような好況が来ないでしょう。上昇志向と言ってもほとんどの人は今日明日
の生活に追われているだけのことで夢に過ぎなかったのです。タイガースファンが巨
人をやっつけるタイガースに熱狂するのと同じ様な爽快さを彼の小説に感じるのです。
誰もが一旗あげたいという儚い夢を持つ時流に乗っただけのことで、司馬には時代と
国境を超える普遍性はありません。故にこの作家も大作家になれなかったと思います。
愛読者がいまだに多い中で私がこのように言うのは無謀かもしれません。そしてこれ
は私だけの受け取り方かもしれません。
坂之上の雲 2
「坂之上の雲」はバルチック艦隊を撃ち破る参謀秋山真之の戦術が中心になった小
説だったと思いますが、私は「バルチック艦隊」という別の小説を読みました。兄秋
山好古は陸軍士官学校に愛媛の貧しい家から裸一貫で入学し弟真之も兄に続きます。
兄は騎兵隊に入り日本騎兵隊の父とまで呼ばれるようになります。真之は海軍に入り
日露海戦の参謀になります。
ロジェスとウェンスキ-という司令官はたしかに無能であるが、バルチック艦隊の
艦船そのものが日本の艦船の速度、射程距離などの性能で劣っていたのでしょう。日
本は富国強兵政策を維新以来とってきたので軍事には最大の力を注いでいたのです。
バルチック艦隊との海戦の勝利が日露戦争の決定的な勝利になるのです。
優れた軍艦建造の背景に「ああ、野麦峠」の紡績女工哀史があるのです。当時の日
本の国際貿易は絹製品にあったのです。したがって絹を紡ぐ娘達が軍艦を作ったので
あった。華々しい開戦の影に長野県諏訪湖のあたりの紡績工場に岐阜高山に集められ
毎年売られてくる貧しい農家の少女達に対する残酷な搾取があったのです。
この日露戦争に勝利して日本はアジアの支配、アジアでの盟主として君臨すること
を狙っていたのです。すでに日清戦争では台湾を領土植民地として奪い取っています。
。
1904年、ロシアには階級闘争が激しく戦わされていました。内憂外患の時代だっ
たのです。あの艦隊にもボルシェヴィキが秘密党員として加わっていました。あの開
戦の前にオデッサで戦艦ポチョムキンの叛乱があってロシアは1905年革命の高揚
期に入っていくのでした。日の出の勢いの若き日本帝国主義と内憂を抱えるロシア帝
国主義の違いが出たのかもしれません。このときレーニンに率いられるボルシェビキ
は日露戦争に勝利するのではなく、この戦争に敗北しても国家権力を労働者階級に奪
い取る方針を持って闘っており、ロシア国内は国内は分裂していたのです。まさに帝
国主義戦争が内乱へと転化するばかりの矛盾をはらんでいたのです。
対馬海峡から2列になって入ってくるバルチック艦隊を日本の艦船が挟撃する秋山
の作戦はまるで獲物の群れを狙う野獣の群れのようです。だが開戦というものは本当
は非常に残酷なものなのです。水兵は船とともに沈められるのですから。日本の砲撃
が近代的だったこと、船足が速かったことで勝利するのだが、その秋山という指揮官
を誇らかに司馬が描いていなかったでしょうか。彼が砲撃させたロシア艦隊の弾幕の
下に人間がいるのだし、彼らロシア水兵は無理やり連れてこられた人間であれば痛ま
しく残酷な行為だったのです。、その痛ましさには司馬の関心があったのだろうか。
この海戦に日露戦争の勝利を確実にした日本は桂 タフト秘密条約で日本帝国主義
の朝鮮の支配権をアメリカのフィリピン支配権と交換で結びます。そしてロシアにも
勝利した分捕り品として朝鮮の支配権を奪い取ったのです。その後伊藤博文が保護条
約を朝鮮宮廷に押し付けたのです。朝鮮人民の不幸はここから始まり敗戦を経て今日
まで続くのです。
坂之上の雲 3
これら歴史的流れから見るならば 日露戦争は植民地の再分割戦争であったといえ ます。すると司馬の「坂之上の雲」がそれほどによい小説かどうか、読んだ当時の記 憶は薄れたが現代書かれた小説だけに私は評価できないのです。やはりナショナリズ ムの立場から書かれていたという印象が抜けません。
『試しに之を朝鮮国民の立場より観察せよ。是一に日本,支那、ロシア諸国の権力的 野心が、朝鮮半島てふ空虚を衝ける競争に過ぎざるに非ずや』(週間平民) 1904.6.19
『見よ、領土保全と称するも、その結果は只より大なる日本帝国を作るに過ぎざるこ とを・・・・』(朝鮮併飲論を評す)1904.7.17
同じ時魯迅は日本の仙台医学専門学校(東北大学)にいました。「日本勝った、日 本勝った,ロシア負けた」という戦勝を祝う大提灯行列を彼が見ています。彼は学校 で見たニュ-ス映画の中でロシア軍スパイを働いたとかいう理屈で、1人の人間が処 刑されようとしている場合に出くわした。回りで見物する中国人はそれを全く無表情 に、まるで神経が麻痺しているかのようにぼうと眺めるばかりであり、その表情には、 生命の尊重や健康増進を追求する意識は感じられない(「吶喊・自序」)、と思って しまった。社会変革の土壌を切り開く上に、この中国人が相手では日本人にスパイと して首を切られる中国人と、それを無関心に眺める中国人の姿を見て、
「中国人は心が腐っている。人間の体を治す医者になるよりも心を治す作家になろう」
と決心します。その当時にあって魯迅という作家はこのように考えたのです。現代に
作家となった司馬には過去を振り返ることが可能です。魯迅と司馬の格の違いを私は
覚えます。
このように朝鮮人、中国人の視点から見るならば「坂の上の雲」の秋山は日本帝国
主義の最先端に立って帝国主義のために朝鮮植民地を奪取するために闘った操り人形
でしかなかったことになります。私の目からは秋山とて、坂本龍馬とて歴史の上でブ
ルジョアジーに踊らされた人形に過ぎず歴史は階級闘争が原動力となって推移してい
ると思います。
このような主人公を立志偉人伝的に描く司馬遼太郎には作家として重要な物がかけ
ていたと思います。それは作家が持たねばならない「社会的責務」だと思います。も
少し言えば「自虐史観!」、否「加虐史観!」の欠落。