(ALMAさん、大変遅くなり、申し訳ありませんでした。まだ一部の回答ですが、ご高覧いただければ幸いです。)
ALMA さん、はじめまして。この度は、私の投稿に興味を持っていただき、有難うございます。ALMAさんは、ロンドンの大学で研究・教育の職に就かれているということですが、私と同じ年代で、すばらしいご活躍をされているようですね。ロンドンの方からこちらをご覧になっているのですか?・・・最近、ふとイギリスに行って、学校、教育環境などもみてみたい、と思うようになってきた矢先だったこともあり、ALMAさんとの不思議な?縁を感じます(笑)。
さて、私もALMAさんのご投稿を、大変興味深く拝読させていただきました。とくに、現地での大学教育の現状は、興味深いものがありました。また、学校改革の具体的提案についても、大変ユニークな発想で、考えさせられることが多くありました。
さて、私なりの回答といたしましては、以下の順序で提示させていただきたいと思います。今回は、1に限って投稿させていただきます。
1.詰め込み教育について
2.教員の勤務評価の現状
3. ALMAさんの「人間性を育てる教員の能力を計測する担当職員の配 置」の是非について
1につきましては、私も条件付きではありますが、「詰め込み」に賛成、という立場で述べさせていただきます。
2については、「校長は情報弱者」と指摘していただいた部分についての裏づけを行いたいと思います。
さて、3につきましては、大変ユニークなご提案で、より「正確な評価」という観点に絞って考えた場合は、今の制度より優れたシステムであると思います。しかし、正直に申しまして、その実現可能性、有効性については懐疑的な立場からの回答になってしまう予定です。
こういう場合は本来、とおりすがりNさんのご指摘のように、相手を批判するというより、よりよいと思う明確な対案を出すべきだというのはわかるのですが、今の私には明確なものがありませんので、おそらく提示できないと思います。そういう状態では相手に反論する資格はないのかもしれません。
また、ALMAさんと日本での初等・中等教育には直接関係があるわけでもない?のに、その問題について、よりよい方向になるために、より正しく私たち教員が評価されるように、問題を提起して下さっていることに対して、反論するのは失礼にあたるでしょう。
しかし、それらを承知であえて、ALMAさんのご投稿に対して感じたことを率直に述べさせていただいた方がよい、と思い正直な気持ちを書いてみることにしました。失礼を承知で投稿することをお許し下さい。問題提起をして下さったこと自体はとても感謝しておりますし、敬意を表したいと思います。また私の述べたことについての反論も歓迎いたします。
◆No.1「詰め込み教育」・・・条件付き賛成◆
先ほども申しましたように、発展途上国の学生の現状については、大変興味深いものがありました。私は、とおりすがりNさんへのコメントの中で、「必要な学習内容を100とするとき、その100までを教える上で、『詰め込み』が必要であれば、それもやむをえないことである。問題はその『100』の中身、つまり具体的学習内容である」ということを述べましたが、その「100」の中身を考える上では、初等・中等教育だけの範囲で考えるのではなく、大学のような高等教育、さらにそれと結びついた最先端の研究にいたるところで求められる学力について、的確に把握することが重要と考えます。
つまり、200、300、あるいはそれ以上の知識が必要なところに「つなげていくための基礎」という観点は、「100」を決める上での大変重要な指標の一つと言えるでしょう。そう考えると、国の教育政策を決めていく上では、ALMAさんのような大学関係者、最先端の研究者から、現状の報告や意見を伺うことは必要不可欠なことですね。
このことと、他のいろいろな観点をあわせて、明確な系統性、そして学問の本質といずれつながっていく学習内容を見極め、「総合的、創造的な思考」を可能にするための基礎を全生徒に養っていくことが必要です。
さて、いずれにしても、私は上記のような「100を満たす範囲」という条件付であれば「詰め込み教育」に賛成、ということができます。問題は、現場でどのように100に達するための「詰め込み」をするのか、というところにあります。
「詰め込み」とは、その言葉自体の意味から、強制的にでも知識を注入するということ、つまりそこに「無理をさせる」という意味が含まれていると考えられます。
このことに対し、一方では、「やはり『詰め込み』はよくない。無理に詰め込もうとしても生徒は拒否反応をおこすだけだから、学習内容を押し付けるべきではない。」という考えと、他方では「必要なのだからやるべき。そして『詰め込み』のように嫌なことでも頑張る訓練が必要。学習そのものだけでなく、根気なども養う必要がある。」という、2つの意見に分かれるでしょう。
私は、このどちらかを選ぶとしたら、後者の方です。それは後者の方が、「100まで は到達させる」という立場にたっているからです。そして、少しつらい体験を通して、それを乗り越えた達成感を味合わせること、成長を実感させることは、学校教育における一つの重要な責務だと考えられます。詰め込み教育には、「根気を養う」という要素が付随するでしょう。
しかし、私は、必要な「詰め込み教育」を行う上では、その「根気」にたよっているだけでは不十分だと考えます。たしかに、取り組まない生徒を「根気よく頑張れ」と励ましていく必要はあるでしょう。しかし、最も大切なことは、それと同時に、教師自身が拒否反応を起こす生徒を少しでも減らせるよう、より上手に「詰め込む」方法を研究開発し、実践することだと思います。つまり、生徒が詰め込みと感じず、いつの間にか学習内容が定着しまった、というようなことが理想ではないでしょうか。前述したように「詰め込み」=「無理をさせること」だとすれば、この場合もはや詰め込みでなくなったとも言えるでしょう。
もちろん、現実はそう簡単ではありません。「勉強は大変で嫌だ」という気持ちを0にすることは不可能でしょう。ただ、大切なことは、教師が「詰め込み」を詰め込みでないところにまで高めようという究極的な目標に少しでも近づいていこうと、常に努力することではないかと思います。
変なたとえかもしれませんが、胃カメラを飲む必要があるとき、あまり上手でない医者が担当した場合、患者はとても苦しむでしょう。しかし、名医がこれを行えば、ほとんど苦痛なく飲むことができます。同じ胃カメラでそのような差があるわけです。ここで「胃カメラ」=「学習内容」と考えて、日々「名医」=「名教師」に近づくよう努力したいと思います。そうなるために、いろいろ工夫をこらすことが、この仕事の面白さでもあるからです。
以上、今回はここまでとさせていただきます。またしばらくかかるかもしれませんが、引き続き投稿させて回答させていただきます。