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川上 慎一さんへ

2005/02/05 過去のこだわり 50代 公務員

 川上 慎一さん私の拙い文書に反応していただきありがとうございます。取り分けて川上 慎一さんが私に対して

「過去へのこだわり」さんはそのお考えがあって離党されたのでしょうし、私は私の考えがあって、抵抗しつつもいまだ党員として存在しています。いずれがよいとか悪いとかという問題ではあり得ません。党外の社会主義者として積極的に投稿されることを期待します。

 と呼びかけて頂いたこと、うれしいやら恥ずかしいやら戸惑っています。やはり党を離れたと言うことは非常に「負い目」をもって生きています。職場でも活動家と認識されただけで色々差別されている昔の仲間が沢山います。私も同様に差別されて来ましたが、比較的早く党を離れていたので、最近ではそれなりの地位についています。
 私個人としては今も党を愛し、日本の労働者の中の最も良心的な部分が党に結集していると思っています。多くの仲間が自己犠牲の元に日夜奮闘している、しかし党は前進せず疲労がどんどん蓄積されて来ている現状を見るとき、党中央の責任を追及せずにはいられないと言うのが私の心境です。
 私はさらに共産党の組織原則が「幹部がすべて決定する」との原則から、幹部の責任が大いにあると思いますが、日常的な改革は地区党組織の「質」の向上が最も大切だと考えています。地区党組織はその地域の政治情勢に対してすべての判断・決定権を持つ政治的力量を持つ必要があります。
 私は公務員であり私が存在する市で共産党が権力を握り維持できるか自問自答した場合共産党には残念ながらその力量は全くないと思っています。多くの町であるいは市で本当に共産党が「市なり町」の権力を掌握できる力量があるのでしょうか。答えは「NO」だと思います。現在の党組織が指導できるのは、赤旗拡大の指導点検ができる位で、すでに宗教政党である公明党にも政治的力量は大きく水をあけられています。
 私が党員として活動していた時、党は大阪東京の衆議院選挙で多きの選挙区で1位当選を勝ち取り、公明党との戦いに勝利しました。あれから数十年たちますが公明党と共産党の力関係は完全に変わり、大阪では公明党は共産党の2倍近い力量を持っています。(議席数ではそんなに開いていないかも知れませんが、公明党は常に上位当選、共産党は下位に並ぶのが現状です)  なぜ政治の「プロ」が、宗教という政治に関係のない者に負けたのか私としては残念でたまりません。この理由を党は「反共攻撃があった」からと説明しますが、私はそうではなく、党は大衆とのつながりを放棄したからだと思っています。議会の議員控え室に行けばそのことはすぐに判ります。公明党の控え質には常に大衆が相談に来ています。共産党の控え室では大衆はほとんど見かけません。我々職員に電話がかかって来るのもほとんどが公明党です。おそらく生活保護受給者の7割ぐらいは公明党の息のかかった人だと思います。あるいは、保育所の入所等でも公明党の息のかかった者が多くいます。
保育所の保母さんい聞いた話ですが、子供の入所に困ったお母さんには「公明党に相談しては」と進めると言っていました。
 公明党のこの活動が正しいか否かは疑問がありますが、ただ公明党が大衆とのつながりを強めていったのに、共産党は「赤旗拡大に明け暮れ」大衆とのつながりを軽視したからだと思っています。(あるいは放棄した・・・さらに言えばその力量を備えていなかった。)
 さらに重要な事は、「革新の旗」をすでに革新無党派に奪われて来ています。共産党の陣地だった革新は今では革新無党派に押されています。
 この辺の事実関係を正確に分析せず、選挙の度に都合の良い分析をしてごまかして来たことが抜き差しならないほどの後退を招いたと判断しています。
 恥ずかしながら、私はこうした共産党の惨状は必ず総括され、新しい方針が生まれる事をずっと待っていました。何時かは私の出番がまたくると期待していました。もっと私の恥を語れば、定年退職後は共産党の議員団事務局長位になり、共産党の議員活動の建て直しを図る事すら考えていました。しかし党の側には「これっぽっち」もそのような考え方はありません。党は何時のまにか「仲間意識」で運営され特定の者が力量があるか否かに関わらず役職を独占しています。本当に地域の政治情勢を変えるための幹部政策というものを全く持ち合わせていません。(私はこの人達に本当に革命をやる意欲があるのかさえ疑いを持っています)
 行政の側は毎年人事異動があります。できる者はそれなりに昇格していきます。このような自己改革を行っている行政に対し、相も変わらず同じ者が地区党組織の幹部を占め、能力のある部分を幹部にしていく幹部政策にない党は、力関係において後退していくのは当然だと思います。(冷ややかな見方をすれば、党は何処まで陣地が後退した時点で、建て直しの議論がおこるのか、それともこの党は消滅していくまで方針を変えないのか極めて注目しています。私は国会議員の数が30年前の水準に落ちたこの時点で、気が付くべきだと思っています。)
 以上長々と私の思いを書いてしまいましたが、もう少し川上 慎一さんとの対話を楽しみたいと思います。

「過去へのこだわり」さんや「樹々の緑」さんの投稿を読ませていただいて投稿します。「過去へのこだわり」さん最近投稿され始めたようですが、何本かの投稿を読ませていただきました。共通の認識もあり、内容的にも共感するところがたくさんありました。

 私の個人的な思いに、共感していただける方がおられただけでも、私に取ってはうれしい限りです。党の組織原則から言えばこうした思いを他の支部の人と語る事すら禁止されており、今まで語る機会が無かったから、とてもうれしいです。

過去へのこだわりさんの「かつての党活動についての批判的視点」はおそらく私や私の仲間だった学生党員たちと共有するところが多かったと思います。党機関からは、党勢拡大と選挙の動員の指示は受けても、学園や職場の闘いについての指導はほとんど受けたことがありません。私は幸いなことにたった一人だけまともな指導をしてくれた専従活動家に出会うことができましたが、いま考えると指導できる専従活動家がいなかったのでしょう。

 私と同じ感性を持って活動しておられた方がいるとの指摘は、私もそう思っています。しかし当時は党は「細胞」称し、何か秘密組織の様であり、党中央を批判する事は絶対許されないという思いが大きくのしかかっており、党の活性化で持論を展開する事は党に打撃を与えると思い、自ら身を引く事を選択しました。(そんなカッコの良いものではありませんが。)

すでにお読みになっているかもしれませんが、関連するテーマでの私の投稿があります。よろしければご一読下さい。
●党員用討論欄  新日和見主義問題によせて(川上慎一) 00/8/28
●さざ波通信第32号  <投稿論文>八十歳を迎えた日本共産党指導部の混迷(川上通信員)

 私は、樹々の緑さんの「新日和見主義に対する評価」に対してどうしても意見を述べたく最近顔を出したのですが、川上 慎一さんのこの問題に対する鋭い分析があることを知りませんでした。
 新日和見主義に対する評価は、私は川上 慎一さんの指摘の方が樹々の緑さんの評価より近いです。ただこの間の樹々の緑さんの他の論陣はほとんど賛成しています。川上慎一さんの一番最近の「実践での検証ということ」の長壁さんに対する評価の部分は、私は樹々の緑さんの方に賛成します。
 なぜなら彼女の「ゆでガエル」論は、情勢を極めて一面的に評価し、敵と味方を区別せず自己の「先見性」のみを強調し、他社を蹴散らして行く議論だと認識しています。彼女がイラク人民との連帯をどのような形で押し進めておられるのか理解せずに批判するのは問題ですが、私はそれぞれが自分の可能な範囲の中で意志表示し戦って行くことが重要だと思います。自分の水準に達していないから君たちは「ゆでガエル」だとの議論は、党の基本方針からも逸脱していると思います。

 以上川上 慎一様への返礼に、「ゆでガエル」議論という全く関係の無い部分の引用を行いましたが、私の立場制性の理解に役立つかと思って敢えて引用させて頂きました。
 長壁さんはおこられると思いますが、長壁さんの思い、あるいは他のサイトでの個人的な奮闘は常に拝見しています。その「戦闘性」はすでに党が失ったものであり、貴重な提言だと思いますが、唯一「ゆでガエル」議論は卒業なされた方が良いと思っています。
 敢えて老婆心ながら、この件で長壁さんと議論する気は全くありませんので、できれば「読み飛ばして」くださるようお願いします。