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樹々の緑様無内容です

2005/02/08 とおりすがりN 50代 会社員

樹々の緑様

 教育問題の議論で、「日本共産党の教育政策の根幹をなす部分」として、『1970年代初頭から一貫して「読み書き・そろばん等基礎学力の充実を」という形で主張していた』とのことですね。文章としてはそういうことなのでしょうし、字面は何も問題は無いように感じます。しかし、学力の低下が叫ばれるようになって以後、一つの試みとして景山先生だったと思いましたが、時間を区切った100マス計算を導入して、読み書きソロバンのうちのソロバンの部分について徹底的に力をつけようという試みを始めました。これについては効果があると紹介されたわけですが、所謂民主教育を掲げる方々はこの試みかなり冷たかったと聞きます。『それで学力が付いたからと言ってなんなんだ』ということなのでしょう。日教組の大会でも無視されたように聞いております。私は景山先生の方法は大変理にかなった良い方法だと高く評価しております。

 文章では『一貫して「読み書き・そろばん等基礎学力の充実を」という形で主張していた日本共産党の教育政策の根幹』とは大変聞こえはいいのですが、実際にそれを現場ではどのように教えるよう『指導』されたのでしょうか。私と阿Qさんとの論争について『言葉が意味する内容について、共通認識がないままに言葉だけを使って議論が進んでしまっている』と感じられたようですが、「ゆとり教育」「教育にゆとりを」「詰め込み教育」は現在の教育問題におけるキーワードです。それぞれが何を意味するかの共通認識が無いとは驚きです。詰め込み教育と言うと極めて悪い印象がつきまといますが、その意味するところをもう一度考えなおしてみたらどうだろうかということも私の主張の中にはあります。それについてはALMAさんが書いてくださいましたので私は繰り返しませんが、けして共通認識が無いわけではなく、私は阿Qさんが考えている教育の問題点は何度も反芻して考えてきましたし、詰め込み教育反対という運動そのもに学力が低下を容認したうえで、平等教育を指向したんじゃないかと考えているわけです。

 教室の荒れの問題について『授業についていけない理解できない子供たちが荒れる』と指摘されて以後、教育の軽量化が進むに従ってさらに荒れるようになったように見えます。つまり、勉強が面白くなくなった・・・恐らく同じことの繰り返しで進歩が無い教育内容・・・教育軽量化によって必然的にもたらされたと思いますが・・・にあきれた子供たちの反乱のようにも見えます。今必要なのは『全生徒への基礎・基本の学力保障』というスローガンでなく、その内容は何かということなのだと私は考えます。字面だけの平等教育を指しているとしたら教育の軽量化そのものだということでしょうし、何も進歩はないでしょう。