投稿する トップページ ヘルプ

一般投稿欄

かつて私は「差別者」だった、そして権力のこと

2005/02/09 寄らば大樹の陰 50代 苦闘するフリーター

 このところ大人による幼い子供達の誘拐や殺人事件が多発している、統計 的に増加しているのか、マスメディアが取り上げることが多くなってよく目につ くのかはっきりはしない。
 何年か前「17裁の犯罪」が連続的に発生したが、今それが収まったとは思え ないが、マスメディアも週刊誌も取り上げないから余り話題とはならない。警察 発表の統計は多分に操作が入り込むから信用度は低い、検挙率が低いと批判され れば小さな事件・犯罪をカットし、カウントしなければ検挙率は向上する。逆に 警察官の増員をしたい時は小さいことでもカウントするから、犯罪件数が大幅に アップし、検挙率も下がるから「警察官が不足」となる。
 警察は自分で基準を作り、自分でカウントし、自分で発表するから、どんな事 でも出来てしまうのだ。
 どこかに捨てられていた自転車が何回も盗難に遭えば、事件数もアップし検挙 率もアップする、それで警察は頑張っていると評価される。
 また何かを隠したりカバーしたい時は、用意した情報をそこそこにメディアに 流してやれば、ジャーナリストとして自覚のない記者連中は、それに飛びつき、 垂れ流し報道するから本質的には重要でない事実が表に出て、為政者などに都合 の悪い事実が隠蔽され、問題性が薄められてしまう。
 これらは小泉政権がよく使う手でもある。
 このまえ、長年の裏金作りがいやになり「内部告発」しょうとした大阪の検察 部長が、逆に微罪をもとに犯罪者として上司に告発され逮捕された。
 この男、逮捕された上に犯罪者の汚名を着せられ、折角の退職金も没収されて しまった。
 これも同じ事だ、官僚たちは自分の権益は絶対他人に侵害させない、身内でも 切り捨て守り通してしまう。
 警察とは唾棄すべき、恐ろしく悪しき官僚社会の典型的存在なのだ。
 しかもこいつらは権力(警察と監獄と軍隊)を持っているから、なんでも平気 で押し通す、彼らの前では人権や表現の自由など、私たちには決して保障されて はいないことをよく知っておくべきである。

 さて愛知県で生後11ケ月の赤ちゃんをスーパーで刺し殺した34歳の男のこ とが共同通信系の新聞で報道されている、文字通り犯罪者には人権もプライバ シーも存在しない典型的記事である。
 しかしこの悲惨な事件を起こし、テレビに無表情な顔を曝したこの男は、実に 暗く辛い「過去」を背負っていた。
 「困窮の少年時代、土手の葉を食べ、人をさけ、他人に心許さず」と太字で書 かれた記事が、彼が育ち生きて来た環境を表している。
 「学校に擦り切れたジャージーで通い、電車を乗り継ぎ、乗れない時は歩き、 足は怪我して靴はボロボロだった」「両親の死亡後は親類に預けられた」「近所 の人が見かねて古着をやったり散髪や銭湯に行かせた」これらはせいぜい15年 前の事実である。
 世の中に徹底的に打ちのめされる人生を送ってきた男に、安息の時間は一秒も なかったに違いない、そしてそれはこの豊かな社会の「隠された側面」を指し示 している。
 この記事を読んで遠い過去のことを思い出した、私が小学校の頃、少し離れた 村に、この男とよく似た様態の兄弟がいた、違う点はそれでも失職中といえ両親 がいたということだけだろう。
 私はこの兄弟と話した記憶がない、学年が違うせいもあったがすれ違う事もせ ず、無視して通した、友達からこの2人の悲惨な生活ぶりを聞いたこともあった がそれは全く関係のないことだった。
 私も早くに父を亡くしたので裕福な思いをしたことはない、しかし間違いなく 私は彼兄弟にとつて「差別者」だった。
 貧困・耐え難い貧しさは、人から全てを奪い去ってしまう。
 無表情で車に乗せられるこの男に、この社会が切り捨てた来たものの多さを感 じてしまった、私は、私たちはこの男の犯罪に責任はないのだろうか。