60年安保については、共産党と全学連、その他の勢力の間で評価が分かれ
たように記憶していますが、あの時総評がゼネストを繰り返すだけの力があれ
ば、事態は変わっていたと言われ、私もそう思いました。
しかし、国会では保守党(党名?)が多数を占めているわけですから(共産党
は2、3名だったと思います)、解散を拒否し政権に固執して、安保共闘側に弾圧
を加えることは十分に想定できます。現にあの時も、当局の十分に過剰な弾圧は
あり、死者さえ出ています。
純粋に法的、行政的に見れば、デモも、座り込みも、ピケも、ゼネストも、職
場占拠も生産管理も、すべて違法行為です(あるいは、違法行為を多かれ少なか
れ伴っています)。弾圧には、権力側から見た根拠は十分にあるのです。
だから、弾圧されたときにわれわれが、犠牲を回避するためにとか言い訳をし
て逃げ出すのか、権力と対峙して戦いを守り抜くのか選択を迫られるわけです。
このときに、弾圧から自らを守るために行使する【暴力】は、私は許されると
思っています。それは、ヘルメットに棍棒を振り回し、敷石を投げつけるような
行為もあるでしょうし、警察や自衛隊の一部が参加した、本格的な武力対決もあ
りうるでしょう。まさしく【敵の出方】によって事態は変わると思います。
革命側が政権を奪取するだけの力を持ち得ていながら、保守派が政権を握って
いるという有利さのために、例えばマスコミに対する影響力を行使したり、業界
や行政の力を背景に国会の多数を占め、その多数をテコに革命側を弾圧したり、
公正な選挙を実施しないという事態になれば、一時的に選挙によらない革命政権
が誕生することもありうると考えます。
発展途上国ではなく、議会制民主主義の先進国でも、選挙を通じて議会の多数
を得て権力を得るというよりは、逆に可能性としては、権力を確立した革命勢力
が、選挙を行って合法性を得るというほうが一般的だと思います。