私は歴史小説が好きでよく読む。特に長編ものが好きで山岡氏の「徳川家 康」は全26巻ほどを半年くらいで読んでしまった。司馬遼太郎の本も「竜馬が行 く」「跳ぶがごとく」「花神」「峠の群像」「坂の上の雲」などは読んだ。作者 がいいというよりは明治以降の出来事に興味があるので。
さて問題の「坂の上の雲」であるが不破哲三さんは批判しているそうだ。明治 日本を美化して描いているからだと新春に青年と語るに書いてあった。
党のトップがその影響が党員に及ぼす影響を考えると軽々しく批判すべきでな いと思うが、それはさておき表題の解釈が根本的に私とは違う。
不破氏によると「坂の上の雲」は明治期から発展してきた帝国主義的な野望の 象徴が雲であるということだ。
私はこう解釈した(というか作者が本の中で述べている)
日露戦争で203高地を奪回すべき日本の兵隊が、敵を蹴散らし坂を上り詰め やっと頂上に足を運んだ。頂上は平らで誰もいなかった。そこは小さいころ遊ん だ自分の故郷の丘と同じで草が生えているだけのようであった。ふと空を見上げ ると、そこには小さな雲があった。
兵隊は、何故オレはこんなところにいるのかと思った。
つまりバカげた戦争はやめようというのが「坂の上の雲」の表題のいわれと解 釈していたのに、不破さん解釈には驚いた。
この小説を読んで、戦争をやりたくなった人がいたらお目にかかりたい。日本 海海戦でも外からみていると格好はいいかもしれないが、砲弾手などは攻撃され 破裂した爆弾の破片で肉が飛び散っているなど地獄であると表現している。
確かに司馬さんの表現は独断的なところがあり、不満もあるが、根底には史実 に忠実に表現したいということだろう。
私は、この小説は戦争の悲惨さを伝えていると解釈した。