「無内容」とのことですが、あれほど正確な基礎知識の大切さを力説されるとおりすがりNさんが、陰山英男先生の名前を、繰返し「景山先生」と書いたり、「百ます計算」を始めたのが岸本裕史先生なのに、陰山先生だといってみたり、大丈夫ですか?
80年代初めだったかな、大阪の清風堂出版だったと思いますが、プリントを買って使った記憶があります。あれの価値は、私も理解・評価していますよ。ただ、私は教員ではないので、学校の先生がどのような態度をとっていたか、よく知りません。遠山啓先生の「水道方式」とどっちにしようかと、あれこれ迷った経験があります。マイナーな塾でバイトしていたので…。
ただ、生徒に使わせていて感じたのですが、ここから「事物の法則性」の理解へと橋渡しするのは、作文指導かな、と思ったものです。言語操作の問題は、計算や漢字学習では賄えないからです。
それと、結構受験する子もいたので、その「乗り」であのプリントをやらせてはいけない、と危険も感じたものです。
私が一番感じたのは、特に遅れを実感しなければ、年齢であのプリントが威力を発揮する子の層は区別すべきではないかということでした。もっとも、20年以上前の子どものことで、いまの子どもの理解力はもっと後退しているかもしれませんが…。