国体(国民体育大会)に新しく「銃剣道」という競技が行われるという。
これまで剣道は「武道」の一つとして国体の競技種目として存在してきた。
さてこの「銃剣」とはまさしく戦場での肉弾戦において、相手に止めを刺し死に至らしめる武器である、それが国体の正式競技種目として登場するのだ。
昨年春の東京で「日の丸・君が代」の強制に反対し、処分された教職員の中に武道を専門とする教頭先生もいると言う。
「国家」とか「愛国心」に酔いしれ、大切この上ない人々にとっては、この事実は絶対許せななかったかも知れない。
かつてナチス・ドイツがスポーツを「ゲルマン民族の昇華の一つ」として奨励した事は有名である、戦後、旧ソ連邦諸国がそれに見習った。
「国体」もとうとう「戦争への道」を目指す競技大会となったのである、「戦争できる国」へと変貌を遂げるこの国では、精神の鍛錬も人殺しの訓練も何の疑問もなしにスポーツの一つとして国体で行われてしまうのだ。
さて、ある本を読んでいると面白い記事に出くわした、それはかつて「武士道の鑑み」とされ「47名の討ち入り」「主君への命をかけた忠義」の「赤穂浪士」が活躍する「忠臣蔵」で、その武士の中に、実は出自を中国か朝鮮にもつ、一人の浅野家の武士が存在したと言うのである。
名前は武林唯七(たけばやし・ただしち)彼の祖父は「渡辺治庵」、別の名前を「孟二寛」という中国浙江省の出身の中国人で、文禄・慶長の役に囚われ日本に連行されて来た人だと言うのだ。
朝鮮半島の植民地時代に強行された「創氏改名」は誰でも知っているが、豊臣秀吉の蛮行の時にも、既にこの手法は採用されているのだ。
「たけばやし・ただしち」とはいかにも無理やりつけられた名前ではある。
しかし、祖父が強制連行で連れてこられた中国人か朝鮮人で、その孫が「武士道の精神」で日本人として主君に忠義を尽くし死ぬ、この国の「武士道」とは所詮、この様なものであったのだ。
そうなると「万世一系」と言う漫画チックな御伽噺に夢中なったり、それを真実として認める人とは一体なんなの?
もう一度「忠臣蔵」読んでみませんか。