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最後のご挨拶

2005/03/05 とおりすがりN 50代 会社員

 ひとつお詫びをしておきます。小柴先生批判をしたのは『寄らば大樹の陰』さんで、樹々の緑さんではありませんでした。大変失礼しました。さて、私もこの4月から転勤で、色々と忙しくなるのでそろそろ退散します。せっかく『やっと議論が出来るようになってきた』とのコメントを頂いたのに残念なのですが、いたし方無いことです。でも私は別に皆さんを非難したわけでも何でも無く、私の素直な感想を述べていただけなので、やれやれやっと冷静に見て頂けるようになったのかと感じるしだいです。

 最後の書込みとなりますが、いくつか書いておきます。私も共産党を支持してきた立場から色々考えることを書かせていただきましたが、今後の活動の参考になれば幸いですし、何をお馬鹿さんという評価ならそれまでです。私はそれを悪いとも良いとも申しません。一支持者の30年の総括にすぎませんし、自分自身への総括です。他の人をとやかく言うつもりも無いことです。ただ、私をお馬鹿さんと評するだけなら、こうして支持者が一人減ってゆくという現実を直視してくださいということを申し上げておきます。

 思えば私が共産党を支持したのも『共産主義』を熱烈に愛したからではありませんでした。私たち一人一人が自由な社会に生まれてそれぞれの努力が報われ、ごく平凡な幸せな生活がおくれるような社会になって欲しいという願いからでした。正しいと思っていることを正しいといい、間違っていると思うことには間違っていると正面切って言える社会・・・そうしたごく当たり前のことだったのだと思います。もちろん経済的な問題も無視はできません。一生懸命働いているのに報われないで貧しくなってしまうようなそんな社会では無いように・・・。そして戦争が無い社会。こうしたものを求めていたのでしょう。そして戦後60年、実際、日本は大きな戦争に巻き込まれることもなく、平穏に過ぎてきました。朝鮮戦争もベトナム戦争もありましたが、日本人がそれに巻き込まれることもなくすごしてきたと言っても良いでしょう。そして、帝国主義アメリカの国内では反戦運動を起こすことも可能だということも見てきましたが、社会主義国の中では反戦運動は起こせないということも見てきたわけです。

 そして頭をもたげてきた疑問・・・社会主義が本当に人々を幸せにするのかどうか?これは本当に社会主義運動をしている人々は正面に据えたテーマとして考えてみなければならない問題だと感じたわけです。日本共産党は一生懸命そんなことは無い、日本共産党の目指すものはこうだと説明はしていますが、問題は他に対する説明ではなく、自らに問うことではないでしょうか。そして議論が百出して一見混乱状況を見せるかもしれません、しかし、その混乱を多くの国民に見せ、そして自らの結論を長い時間をかけて構築してゆくこと・・・。このプロセス無くして良心的な国民に社会主義の利点を理解してもらえることは無いでしょう。特に若い人々を納得させることも出来ないでしょう。

 幸か不幸か、共産党がさんざん主張してきた民主主義、自由と権利、等々により、国民は自ら考え自ら疑問を持ち、無知蒙昧にして特別な思想に盲従することを拒否するようトレーニングされてきたのだと思います。そういう素直な眼で見れば、如何に中国や北朝鮮が社会主義では無いと力説されても『でもあれは社会主義でしょ』と思うのです。ソ連が崩壊し、東欧が社会主義離れを起こしましたが、ソ連も東欧も社会主義国では無かったと言われても『そんなことは無いでしょう、あれはやっぱり社会主義国でしょう』と考えるのです。すると、一般的な市民感情としては、やはり社会主義は成功しなかったという結論は残るのです。こういう私を『間違っている』と非難するのは自由です大いに非難してください。それでいいのです。

 教育問題は、戦後の運動の中である意味成功していた問題だったように私は見ていたのです。詰め込み教育、難しいことを教えすぎる、生徒は皆平等だ・・・という見方は1990年代頃からマスコミにも取り込まれて、大いに共産党の主張に近い主張が一般的になりつつありました。良心的な考え方が理解されたのだろうと思います。しかし、その結論が政府にしてゆとり教育なるものを推進させることとなりました。このころから、教育問題も大いに迷走したように思います。革新勢力も保守勢力もある部分では言っていることが同じになり、別の局面では異なる、そして同じ革新勢力の中でも意見が必ずしも一致しないという状況が生まれたように思います。無理ありません。それだけ難しい問題だということなのです。従って、このころから私が感じたのは政府の方針を批判するだけでは問題は解決しないだろうということでした。

 それがスローガンだけではもはや対応できないと私が言う真意です。樹々の緑さんが指摘される点も、なるほどと思えるところもあります。現場を知っているW先生のおっしゃることにもなるほどと思えることは多々あります。しかし、やはり若いうちに覚えるべきことをたくさん覚えておくことの重要性を否定することにはなりません。Wさんはゆとり教育が選別に利用されているんじゃないかとおっしゃいました。しかし、私が覚えている限りではかつての受験戦争詰め込み教育の中でもっとも強くしてきされていたのが、やはり選別に利用されているということでした。詰め込み教育なら選別、ゆとり教育でも選別。じゃあ、どういう教育ならいいの?ということについてよく考えて、是非そのサンプルを構築することが重要なのです。

 結局東大に入りたいと思っている人間を全員東大に入れるわけには行かないわけで、入試で選別をせざるを得ないとすれば、どんなやり方をしたって選別されるのです。幸い東大には入らなかった私はありがたい存在で、東大なんかに入らなくたって立派に仕事をしていけるさと自負があります。これは大学に入らなくたってちゃんとやっていけるということにも通じるわけで、そんな選別があろうとも、自分がしっかりしていれば選別でも何でも無いということになります。選別されることにこだわる必要は無いんじゃないかと、そんな風にも思います。そんなに選別がいやなら日本中の大学をひとつにして、みんな東大にすれば良いでしょうということになりますが、これは非現実的でしょう。

 とまあ、まだまだ議論の種はつきませんが、ひとまず私はこれで退散いたします。お付き合い頂きありがとうございました。