とうとう死者107人を記録したJR尼崎の大惨事は、運転手云々より、安全を無視し、営利、スピードを求め、そこに働く労働者に全ての犠牲を押し付けたJR西日本資本にある。
JR西日本が本当に「民営企業」だと言うなら、こんな無理はことは絶対しない、今JRの対抗路線として取り上げられている「阪急電鉄」の堅実な経営姿勢を見れば、JR西日本の素人経営ぶりが、民営化と言いながら国家丸抱えの官僚体質が、この間の記者会見他に見事なまでに露呈してしまっている。
今こそ「第二第三の尼崎」を起こさない為にも、JR各労働組合を先頭に、全ての労働者が。JR西日本に対し怒りの声を上げなくてはならない。
ところがである、関西地区のメーデーは4月29日の連合系メーデーはもとより、5月1日のメーデーも「自粛メーデー」として屋外などの行動を止めてしまった。
確かに多大な犠牲者に対する弔い、と言うことは理解できる、しかし果たしてそれだけでいいのか。
既に全てを警察権力とJRに任せ、大半の事故原因を運転手に押し付けて決着を図ろうとする状況が露わになる中で、労働者がその怒りをJR西日本にぶっつけないでどうする。
メーデーはその絶好のチャンス、労働者の主体性復活の機会なのに主催者たちはその責任を放棄してしまったのだ。
メーデーが本当にお祭りでいいのか、今その答えが求められている。