階層社会とは、全ての人が裸一貫でスタートし、才能がある人だけが儲ける社
会ではない。最初のスタートの時点で親の財産によって学力・学歴に差がつく上に、
親の財産で一生働かずに遊んで暮らせる人と、働いても働いても永久に金持ちになれ
ない人に分かれる。
これが階層=カーストである。奨学金は縮小され、カースト制は次第に強まってき
ている。スリランカですら、大学まで学費・食堂・寮費は無料だというのに、日本で
は奨学金すら給付制ではなく、貸与制であり、その上で縮小傾向にあるのだから親に
資産がなければ大学いけなくなりつつある。
引きこもりはまだ救いがある。労働に動員すれば良いのであるから。問題は若年ホー
ムレスである。つまり、データやマスコミ報道では同じ無職であっても、親の資産に
よって深刻さが違うのである。引きこもりならまだ救いがあるのである。もっと救い
のないケースもあると思う。ただの引きこもりなら、地域の奉仕活動・医療・介護の
ボランティア、海外青年協力隊。やらせるべき仕事は案外いくらでもあるように思う。
彼が親の財産で遊んでいるなら、教育訓練を受けさせれば良い。
ただ、親の財産で遊んで暮らせる人がいるという事は、その逆のケースがあること
はマスコミは無視抹殺しても、共産党員なら気付かねばならないと思う。マスコミは
若年失業や引きこもりは問題にしても、見えざる貧困には目がいかず、若者の心の問
題として処理する。しかし、もし働かなくても生活できる人がいるとするならば、一
方で過労死寸前でも生活をやりかねるの人がいるのではないか?
この想像力があるかないかがマスコミと共産主義者の差だと思う。労働現場、たと
えばトラックや宅配の運転手が助手がなくなり、一人になったとか。そういうことは
マスコミは無視するが、本当は交通事故や過労死にもつながる大問題なのだ。引きこ
もりとその裏返しとしての過労自殺という風にはマスコミは決してとらえない。別々
に分けて報道する。社会主義者・共産主義者はマスコミのように一部だけ取り出すの
ではなく、社会全体の関連性を常に考え、想像するものだ。だからこそ「社会」主義
というのである。一部しか見えないのなら、社会主義ではない。