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一般投稿欄

人文学徒さんの 「奥田氏」論議にかかわるエッセー(05/3/16) を読んで

2005/04/11 菅井 良

 人文学徒さんの「奥田氏」論議に関わるエッセー(05/3/16)を読んで考えてみることにした。
 人文学徒さんが自分の行動を考え直されている態度に好感をいだいたからです。
 人文学徒さんからすれば、私も、左の左の見解を持つ者ということになるだろう者です。
 人文学徒さんはさざ波の参加者が減っていることを憂えており、その原因は、長壁さん、寄らば大樹の陰さん、銀河さん、(川上慎一さんは古くからいらっしゃいますが)などなど左の左の論者の増加にあると考えているようだ。一応、議論の仕方についての要求という形になっているが。
 だが、さざ波の投稿の減少ということについての原因が何かということです。私も長く、投稿を停止していたものとして、自分の事情を一般化するわけではないですが、人文学徒さんの認識は違っているように思います。
 さざ波の存在意義と、各自の存在条件の変化に基本的な理由があると思われます。
 また、左の左の増加は、現在のイラク戦争の動向によっていると私は考えます。アメリカのイラク侵略に対して、イラク国民はよく抵抗しています。それだけにアメリカの軍事行動は過酷かつ戦時国際法規無視のひどいものになっています。それらは、日本では確かに報道がほとんどありませんが、インターネットのネットワークではある程度手にいれることができます。左の左が増加したとしたら、その背後には、そうした事情が伝わって、アメリカ批判が、つまり左が増加している、でなければ勇気づけられていることの現れにすぎないと思います。
 だから、参加者が増えにくいという、人文学徒さんの理由は、左の左の人を説得する「ための理由」であって、人文学徒さんは、やはり左の左の論自体を否定しているんだなあと思うのです。
 誰かの発言に介入し、場合によって停止する権限をもつのは一般にサイトの管理人であり、それらの措置は人間としての尊厳の尊重(基本的人権)とこのサイトの性格に根拠をもたなければならないです。それがあいまいになると、人は信頼をそのサイトにつなぐことができなくなるものです。
 もともと、日本変革のためには共産党の今のやり方を直さねばならない、ということで始められたさざ波通信は、前回の綱領改定により、共産党自体が変る可能性がなくなった、新しい党の結成を、と編集部が見解を述べた時点から、改めてその存立根拠が問われなければならなくなってしまったのだと思います。本体の通信が停止状態なのも、原因の一つです。
 人文学徒さんは、さざ波が投稿欄と称しながら掲示板的な性格をもつためだと思いますが、掲示板管理人のようにふるまわれているのではないでしょうか。あるいは、無意識に管理人に立候補されてると言った方がよいかもしれません。
 ですが、参加者の増加の問題を考えるとすれば、まず、さざ波サイトの性格の問題となるように思います。

 追加
 「奥田氏」論議に関わるエッセー(05/3/16)で述べられている人文学徒さんの人間観が正しいかどうかは、したがって、この問題には主要なことでないと思います。
 ただ、奥田氏はやさしそうな顔をしていますから、私自身はだまされないように、彼の本質は資本家であると、意識的に考えるようにしています。
 また、人文学徒さんの感覚は、収入や専門職についての感覚がやはり私とは違うなと思いましたが、言われることはもっともだと思います。今は人文学徒さんのように感じる人の方が多いのでは、とも思います。ただ、人は自分の実践から感じ方をつむぎますので、そこのところの差異は単なる話し合いだけでは統一できないように思います。