11日一般投稿欄で、菅井良さんが僕の3月16日投稿「奥田氏論議に関わるエッセー」に触れられています。それへのお答えということでこれを書きます。
1 第一に、僕のこのエッセーは参加者を増やす事を第一の目的としたものではありません。題名通り「奥田氏のような典型的『資本家』をどう描くべきかという点で、僕がとても重要な誤りと日頃から考えてきたあるやり方を批判したものです。この問題は、目前の投稿数の増減などという小さな事ではなく、いわば革命の戦略にも関わってくるような重要な「思想」事項と考えてきました。この点についての僕の「感覚」を、「言われることはもっともだと思います」と、「左の左の(と僕がいうであろう)」菅井さんが認めて下さっていることは大変うれしい事でした。この点を認めて下さらない「左の左」の方が多いだろうと思いましたので、僕はこのエッセーを書いたわけですから。事実その後の投稿で間接的表現も含めて僕のエッセーのこの点に反論される方が何名かいらっしゃいました。そう、菅井さんが言われるように確かに僕はこの点を認めない人、というよりもその人のそういう側面については、今後とも強く批判していきます。
2 二番目に僕は確かに、参加者の減少を意識していました。さて菅井さん。このさざ波への「左の増加」ではなく、投稿自体が大幅に減っているその原因は一体何だと思いますか。僕は1のことが関係していると確かに書いているのですけど、あなたはどう思われるのでしょう。
3 最後に菅井さんが僕の事を「掲示板管理人のようにふるまわれている」と言われていることに触れます。さざ波の発展を願うという意味での「主体的参加」ということは、悪い事ではないはずです。当然それぞれの考え方での「発展」なのですが。ここ2、3ヶ月みたいに少数の「底の浅い左の左」の方だけが書いている現状ではなく、(それらの方々も含めて)もっと多様な人々の投稿を求めますなどとは、みんなが書いても当然良い事ではないでしょうか。ちなみに僕の過去の投稿で没になったものはないどころか、修正、削除も全く体験していません。さざ波編集部よりかなり右の僕ですが、編集部から「僭越」と扱われたことはないということだと理解しているのですけど、どうでしょう、どう思われますか。