日本共産党の未来は、需要があると言う点で前途洋々だと思う。
では、現状の共産党に需要があるかというと、私でさえもノーサンキュウである。
昨日は地域の党員が立ち寄った。まあーコーヒーでもいっぱいいかがというと、忙しくてそんなもの飲んでいられないと言う。
今度都会議員の選挙があるから、3ヶ月でいいから赤旗を取ってくれという。取りたくないと断ると、わからずやを相手に話などしていられないと言う風に態度で軽蔑の意を現して帰って行った。
総じて共産党員は、支持者の話を聞こうとはしない。聞いたところでその問題を処理する機関がないからだ。上意下達の組織の中では、板挟みになるだけだ。上の要求を切るか。下の要求を切るかの二者択一になる。
われわれ大衆組織においては、状況が異なる。上の要求よりも下の要求を大切にする。以前はそうではなかったけれども今は、下の要求を大切にしないと組織がなりたたなくなって来た。
組織内革命が少しは成功しつつあるように思う。
共産党は、革命政党と言われていたが、実質は、守旧政党である。
革命とは、何かが解っていない。
革命とは、細胞レベレでの革新であると、私は思う。機械的な組織の改変ではなく、個々の人間の意識の変革がなくてはならないと思う。その点、池田大作の「人間革命」という主張の方が、不破哲三のレーニン主義的権力革命よりも勝っていたと思う。
個々の人間が主体性を持って、自分の足で立ち、自分の頭で考えないと革命は成就しないし、新しい社会は出現しないと思う。
今という時代は、有り難い時代である。為政者が安易に国民をあざむけなくなった。西日本鉄道のあの悲惨な事故が何が原因で起きたのかが徐々に明らかになってきた。
はじめは、未熟な運転手に責任があるかのような報道がされていたが、経営者の安全に対する配慮の希薄さが浮き彫りにされつつある。
起きるべくして起きた事故であろうと思う。古い体質の会社は、市場から去るべきである。小手先の改善では駄目だ。体質を改善しなければ客から見放されるだろう。
情報化時代に大衆も物言う大衆でありたいと思う。共産党の細胞レベルでの改変を望む。昔は、党支部を、党細胞と言っていた。あの時代の方が本質が解っていたように思う。党細胞が、党支部に名称が変わったあたりから、体質がおかしくなってきた。早く言えば無責任体質になってきたと思う。
党員は、自分の頭で考え、自分の足で立てと言いたい。誰かに庇護してもらいたい党員が目について仕方ない。
大体不破議長自体が自分の頭で考えずにレーニンや宮本さんに甘えて、マルクスや、レーニンの一字一句を研究して現実を見ようともしなかったのだからどうしようもない。
その点、ホリエモンは、革命児だと思う。ホリエモンの父親が、彼のことを織田信長だと言ったそうだが、織田信長は、刀から、鉄砲に戦術を変えたばかりでなく、武士集団をつくりあげた時代の変革者だと思う。
ホリエモンは、階層社会の幕を開く経営者だと思う。日枝氏は、階級社会の人、ホリエモンは、階層社会の人だから、あの勝負は、時代の勝負であると私は思っていた。
西日本のような古い体質の会社を変えて行くためにも、われらの戦いの砦であってほしい日本共産党の体質を変えてゆきましょう。
党内の階級意識をうち砕くのも容易ではないけれども、まずそれをやらなければ、時代を変えて行くツールが出来ないように思うのですけど。その考えも間違っているのかなー‥?。