再び、JR西日本の経営陣・体質批判から目を逸らすネタがブルジョワマスコミで賑わっている。
当初、この事故の被害者となった運転士2名について、現場からすぐに出社した事からスケープゴートにしようとする策動がTV等で見られた。
しかし、会社に報告した結果出社するよう指示があったことが露見しだし、JRの経営体質が安全体制を崩壊させたという本質が国民に分かりやすく見え出すところだった。
また、国鉄分割民営化が安全無視体制を生み出したことも明瞭に示されるはずだった。
それが天王寺のボウリング大会批判一色でTVのワイドショーは染められている。
意識的なものだろうということは明瞭で、「鉄道評論家」なるものやテリー伊藤が「古い国鉄時代の体質」云々が影響とまるで、逆の解説をし、事故原因の追究や抜本的な安全体制の改善をさせないように、国民を扇動している。
元々資本は金のかかる安全対策を軽視しがちであり、現場の労働者・労組が自分の安全を守るための真剣な闘争を行うことで安全体制は初めて守られるものである。
特に資本の振りまく「自己責任論」は安全対策軽視に容易に結びつき、労災の被災者に原因を押し付けることで安全対策を先送りしていくことが頻繁になってきた。
まさしく「闘いなくして安全なし!」であり、私も「連合」傘下の労組幹部であるが、安全を守る上で資本との日常的な闘争は避けて通れなくなっている。
「会社の都合もあるし」「もうちょっと会社を信頼しろよ」との意見に組みするとすぐに危険要因が現場に蓄積してくる。
動労千葉が春闘で安全管理体制も課題にしてストライキを行ったが、労働者は動労千葉のような毅然とした安全への希求姿勢を鮮明に出していかないと、自分自身の身を守れないのである。
違う管区でのボウリング大会など批判したところで職場のストレスを増大させ、異常な労務管理が強化されるだけである。
ブルジョワマスコミのボウリング大会批判に決して惑わされてはいけない。
公共輸送はもちろん、すべての現場で安全管理体制を確立するため、全労働者が「闘いなくして安全なし!」をスローガンに決起することを呼びかける。