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何かというと誰かに責任を取らせたがる体質に問題

2005/05/22 とおりすがりN 50代 会社員

 JR西日本の福知山線事故も過去のものになりつつありますね。こういう事故が 起こるたびに私が感じている大問題は、右とか左に拘わらず共通している体質は『責 任を取れ』という大合唱です。それにしても今回の事故は謂わば電車の自損事故だっ たためにJR西日本は他者に責任を擦り付けることが出来なかったために大苦境に立た されています。

 仕方が無いから同乗していた運転手が乗客を助けなかった、事故が起こった日にJR 西日本の社員が酒盛りをしていた、そんなことを持ち出して責任を取らせようとやっ きですが、そんなことが事故を起こした主原因でもないでしょうに・・。モラルなん てものでもない。ともかく右も左も犯人探しと責任押し付けにやっきになっているハ ザマで、責任分散のネタに出されたものに過ぎません。

 私がいつもこういう事故が起こるたびに考えることは、起こってしまった事故の責 任を問うことはまずは棚上げにすべきだということなんです。大事なことは事故の原 因をはっきりとさせることであり、再度の事故を防止することを最優先することなの ではないでしょうか。

 今回の事故については今までの事故以上に会社の責任を問う声は大きいように感じ ました(マスコミ論調)。そしてJR西日本の経営方針に問題があるらしいこともたく さん報道されました。私も確かにそうだろうと思いますし、JR西日本も自らの体質改 善を明言せざるをえませんでした。

 しかし、『労働者の味方』の皆さんが取るべき態度はそうしたマスコミの論調といっ しょになってJR西日本の体質を攻撃することなんでしょうか。労働者の味方は運転手 を擁護し責任は運転手に無いことを強調します。気分的にはそう言いたいことは理解 できます。しかし、それで本当に再び事故が起こることを防止することは可能なので しょうか。私は否だと思います。労働者は労働者の立場、すなわち自らの立場を振り 返って、自らに問題は無かったかを徹底的に自己検証することなのではないでしょう か。今までの労働運動の中で、こうした自己を問うという姿勢は労働組合にあったの でしょうか?

 そのために必要なことは、まずは責任を棚上げして、原因解明を優先させること、 そして原因の全てが開示された後に責任の所在を明らかにすればよいのではないでしょ うか。責任の所在を明らかにするまでに2-3年かければ良いし、所在は明らかにした うえで、あらゆる関係者が原因解明に協力的ならば、司法取引によって責任はあるけ れども、責任は問わないという解決方法があっても良いと思いませんか。