ボウリング大会に惑わされるな2005/05/05 赤鬼 さんのレスを読んですっきりしました。
なんでボーリング大会ばかりネチネチマスコミはさわぐのだろうと思っていました。
彼等がボーリングをやめたところで、現地に応援に駆けつけることはできないでしょう。往来に横たわっていた被害者が病院に運ばれてしまえば、後は、専門集団でなければ、車内に閉じこめられた人を助けることは出来ないと思います。部外者がチョロチョロすることはゆるされないでしょう。
ボーリング大会出席者がボーリングをやめても、それぞれ家に帰るか、四散してしまうでしょう。彼等の手が必要ならば、まとまって一カ所にいる方が好都合だと思います。
大体今回の事件は、報道の仕方がおかしいと思います。一日目には、運転手は、意識不明だと報じられました。一両目の状態は、脱線後すぐに解っていたのかなと思います。
二名の運転手のほかにシステム関係者が先頭車両に乗っていて、彼も出社の是非を上司に問い合わせたという記事もありました。肋骨が骨折していて現在入院中だそうですが、事故初日に助けられたのかな?と思います。
マンションの周りにまきついた車両が何両目か解らないような報道が繰りかえされましたが、残った車両を数えれば二両目であることはすぐわかるのに、感傷的な報道が多かったように思います。
気が動転してわめいている遺族の映像を繰り返し繰り返し流すのも気の毒なような気がしました。
感傷的な報道で、実態が隠されているのではと、感じました。
> 元々資本は金のかかる安全対策を軽視しがちであり、現場の労働者・労組が自分の安全を守るための真剣な闘争を行うことで安全体制は初めて守られるものである。
> 公共輸送はもちろん、すべての現場で安全管理体制を確立するため、全労働者が「闘いなくして安全なし!」をスローガンに決起することを呼びかける
まったくその通りと思います。
乗客の方も、安全神話にだまされないで、スピードのみ求めないで安全性に常に気をくばらなくてはいけないのではないか、一旦自分の家の玄関を出たら再び帰ってこれる保証のないことを覚悟して、外出すべきだと思う。
インドネシアの地震の時、インドネシアのインフラの貧しさを同情したが、今回の事故で日本のインフラの貧しさを実感する。東武鉄道の踏切事故など、開かずの踏切がまだいっぱい残っているようだ。
不良債権処理には、気の遠くなるようなお金を使ったが、鉄道の立体交差など早く実現するべきだと思う。
インターネットが普及すれば自宅で仕事が出来るような夢物語も以前には報道されたが、今は、都市部への一極集中がまた始まって地方は経済的に疲弊しているのではないだろうか。そのこともダイヤの無理を助長していると思う。
東京には、のっぽのビルが林立して行くが、地震になったらどうなるのだろう。上の方ほど家賃や、分譲費も高いようだが、電気がストップしたら、階段をのぼりおりするのだろうか。
東京に地震が起きたら日本は終わりかもしれない。
今回の事故は、対向車両がぶつからなかっただけ、まだましだと思う。マンションが崩れなかったのも幸いしたと思う。マンションの駐車場の車が焼けなかったのも幸いだと思う。
日勤教育などで従業員をいじめるJr.西日本のような体質の会社は、まだまだ多いのだろうか。
「狭い日本、そんなに急いでどこ行くの」と言う標語が以前には、あちこちで目にはいったが、今は昔、みんなぎりぎりまで働かされているのだろうか。
私の周りには、失業者と、高齢者ばかりで実態がよくわかりません。