朝日新聞からテレビまで、今回の、日本人傭兵すなわち、自衛隊出身で、当初から「外人部隊」を目指していたというこの男性の扱いに、非常な違和感を持つのは私だけだろうか。
先の3人の人質事件といい、香田さんといい、政府側および、日本の世論の汚いバッシングの大洪水だったが、今回はどうなのだろうか。
明らかに、前回の人質とは180度違う、今回の戦闘中の出来事に、メディアは、大げさとも言える報道振りである。
イラクで、続行している米軍の大虐殺に、金稼ぎが目的で(それとも、人殺しが目的か)危険など、とっくに覚悟の上のプロの戦闘屋にどうして、「頼りになる人だった」などといったコメントをつけなければならないのだろうか。
米国の戦争がじわじわと私達の手足を縛りだした今日この頃、ここ葛飾でも、4,5機の蓑虫のような形をした軍用機がかまびすしかった。
イラク人を殺す側にいる私達の国のメディアが、殺される側の人や国の側につくことが難しいのはわかるが、それにしても、何のためのメディアなのか。
少なくとも、私達購読者は、事実を知らせてほしいと思うのだが、真実などどこ吹く風とばかり、ただ、ただ、軍国主義のお先棒担ぎに余念がない。
朝日新聞5/12付、天声人語は、「戦争は民間業界に任せるにはあまりにも重要すぎる」などと、訳のわからない「格言」をつくり、結論付けて茶を濁す。
お話にならない。
今行われているアフガン・イラク戦争・そして、朝鮮戦争はブッシュと小泉の管轄下、米国と日本という国に任せるなら、問題ないといいたいのだろうか。
核実験も、殺戮増産工場も、調教用の教育現場も、国が指揮。監督すれば問題ないというのだろうか。その国も、北朝鮮や中国ではなくて、米国と自国ならいいということだろうか。
国の経営を放り投げて、民間化して、JRの事故が起こったばかりである。
国の経営を放棄して、民間に移行しつつ、戦争が始まっていくというのは、定番である。つまりは、戦争したいために、責任を放棄したいために、民間へのマル投げは、国の意図なのである。
こと、戦争のためには、このようにして、なにもかも、引っ掻き回されて、義務も責任も、権利も、マル投げとなるのである。
朝日新聞の広報のかたは、私同様、ずいぶん高飛車な物言いであったが、自らの姿勢を省みるゆとりもないのだろうか。購読者が怒りを持たずにおれない信情を慮る、想像力もないのだろうか。
おそらく、そこまで、内部の事情も、逼迫しているということだろう。「ジャーナリストとして」どころかひとり、個人の頭で考える習慣など、奪われているのかもしれない。
ことはマスコミばかりでない。良識あるジャーナリズムでさえ、ここまでファシズムが覆う日本では、なんとも歯切れが悪く、ある一定の方向になびく気配を感じて、いささか気味悪い。