1月の末に行われたNHKの改憲に関する討論会にむけて、改憲反対の意見を少し でも反映せようと、毎日様々な視点から憲法を(当面は)守るべきことを主張する意 見を送り続けるため、このサイトから離れていました。
一寸のぞくくらいの時間はあったけど、のぞくと何か書かずにはいられなくなり、 結局時間を奪われるので、アクセスもしませんでした。その後仕事がいそがしくなり、 しかもひどい風邪をこじらせたりして遠ざかっていました。
久しぶりにのぞいて、がっくりきています。このサイトに、なんで「リスクを取る べきだ」なんて意見が表明されるのでしょうか?農民も職人も商人も、生活者は昔か ら、常に大きなリスクを背負って生きてきたのですよ。
「板子一枚下は地獄」と言われた猟師はもちろん、農民も、台風が一発くれば、1 年間苦労してきたのが一夜にして無に帰するとか、様々なリスクを負って、それでも 負けずに生きてきました。大工だって、屋根から落ちれば一生仕事ができない体にな るかもしれない。
私だって、元請から無茶な納期を押し付けられて無理をすれば、徹夜して、朝女房 が起きて仕事場を見たら冷たくなっていた、なんてことは十分に考えられます。商人 もほかの職業も、まともな仕事をして生きている人たちは、大きなリスクを背負って 生きてきました。この上なんで余計なリスクを負わなければならないのか?
ライブドアの堀江君は、リスクを金にするのが仕事です。だから、何も生み出さな くても大金を稼ぐことができるのです。長者番付で騒がれたファンドマネジャーも、 リスクをネタにして稼ぎました。彼らはまともな仕事をせずにリスクを商品として巨 額の利益を得ているのです。
「何をいうか、彼らほど精力的に働いている人たちはいない」という反論がくるで しょう。しかしそれは世界を、歴史を知らないからです。部下たちに情報を収集させ て、その報告を受けて、「どうしましょう、買いですか、様子見ですか?」と聞かれ て、「買え」と一言。この一瞬の判断と指示で何百億円のもうけを得るような人たち が、昔からいました。それによって、汗と涙を流して価値を生み出してきた何百万も の人々に分配されるべき富を、かっさらってきたのです。堀江君も100億のサラリー をもらった会社員も、本質的にはそれと同じ仕事をしています。
リスクでもうける人たちと、しんどい仕事をしてやっと生きている人たちが否応な く背負わされるリスクの本質を理解できないようでは、話になりません。われわれが 自然に受ける不可避のリスクと、人為的に作り出されたリスクは、全く異質なもので す。後者は、為替の差額や株式の騰落などに投資するギャンブルで不労所得を得よう と血眼になっている人たちの行動によって生み出された不安定性によるリスクです。 まじめに働いている我々が、なんでそんなギャンブルに付き合わなければならないの か?
資本主義の最悪の形態と私が考える新自由主義が振りまいた幻想が、さざ波通信に まで入り込んでいることに、絶望的な気持ちにさせられます。私に言わせれば、新自 由主義というのは、人々に「大胆にリスクを取って金を稼げ。それが出来ないやつは 負け犬で、いくら悲惨な生活をしても自己責任だ」とおどす非人間的なイデオロギー です。それに乗せられて失敗した者は、おぼれた犬に石を投げるような仕打ちをされ ますが、それを命令した「えらい」さん達は責任を取りません。それが自己責任。
現場で働いている人間は、ミスをしたら自分の命にかかわるのですから、本来は絶 対にミスをしないように努力するものです。ここではリスクを取るなんて許されませ ん。リスクをゼロにしなければいけないのです。
ところが「リスクテークしてもうける」なんて考えに取り付かれた経営者の業務命 令によって、安全操業の基盤が崩されてきました。私は昔から個人の判断力を奪うよ うなマニュアル教育は悪だといってきましたが、常に筋違いの反論を受けてきました。
時速100kmを超える速度でカーブを曲がることが危険なことは、走っている人 間なら誰でもわかります。その現場の常識(知恵)をつぶすような業務管理が行われ、 それに沿ったマニュアルで管理されれば、現場に蓄積された知恵もノウハウも崩壊し ます。そして事故がおきれば、現場のせいにされます。しかし現場こそ、自分の命の ためにも事故を防ごうと必死になっているはずです。それを崩したのは誰なのか?
寄らば大樹の陰さんが言われたように、(大樹の陰に寄らずに)自分の信念をしっ かり持って、人間としての誇りを持って生きることが、今ほど難しく、しかし必要な ときもないような気がします。事故を起こした運転手が、子供のときからの電車への 愛情を守り続けて、もうけしか考えない経営陣にさからって自分の信念を守っていれ ば、とくやまれます。