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いつもながらロム3さんのご指摘は鋭い

2005/06/27 寄らば大樹の陰 50代 苦闘するフリーター

 いつもお元気でご活躍のロム3さんに敬意を表します。
 さて私が揚げ足を取ると言うより違和感を覚えたのは

>労働者がいつまで経っても労働者であり、その権利を守るのは組合くらいしかない というワンパターンに陥っており(略)それは有史以来延々と続いているように思う。

に対し、ロム3さんが

>その通りです。でも、昔は奴隷そのものだった労働者が、資本主義社会に>おいて は、市民に昇格はしました。

 と応じられている部分です。

 元々有史以来という古い時代からとても「労働者」という概念があったとは思えな いし、「労働者の権利を守る組合」があったも思えない、また労働者か自己解放や社 会の変革に向けて、様々な努力をしてきたことも事実です。
 これは明らかな認識の間違いなのですが、それをロム3さんが肯定し、その上「昔 は奴隷そのものだった労働者が、資本主義社会においては市民に昇格はしました」と 書かれている事です。
 だから私はそれに対照するものとして、古代ローマの時代の「市民」を書かざるを 得なかったのです。
 もとよりローマの時代に「奴隷イコール労働者」であったかについても検討を要し ます。
 さて「資本主義社会においては、市民に昇格はしました」の部分ですが、封建制、 絶対主義の時代をへて資本主義・ブルジョワジーが権力を取った時、すなわち資本主 義社会で、労働者は資本家から徹底的に絞られ搾取されて、それこそ「塗炭の苦しみ」 に追い込まれています。
 生産するものとして本来社会の主人公であるべき労働者のこの耐え難い苦しみを見 て、マルクスやエンゲルスは労働者解放、労働者自己解放実現の思想としてマルクス 主義、共産主義思想を構築して行ったのです。
 資本主義社会に於ける生産の飛躍的向上は、資本家ブルジョワジーに地位向上をも たらし、一層強固な支配権を確立しましたが、逆に労働者は封建制の下でさえ考えら れないような過酷な労働の中で、辛うじて自己とその家族を維持するだけの生活を強 いられ、自分の生産物の殆どをブルジョワジーに奪い取られたのです。
 労働者は「資本主義社会で豊かな市民に昇格した」のではなく、それこそ古代から 中世の奴隷のような生活を、ブルジョワジーによって強いられたのです。
 ここで有名な詩人、ハイネの詩を紹介します。

<シュレージェンの職工>

 これはマルクスとエンゲルスが「共産党宣言」を著わす1848年の4年前、18 44年に起きた労働者の暴動を歌ったものです。
 当然マルクスとエンゲルスはこの詩を読んだし、労働者の置かれた苦しみを知って 「共産党宣言」を書いた筈です。

<くらい眼に涙も見せず、機(はた)にすわって、歯を食いしばる>
ドイツよ、お前の経帷子を織ってやる、
 三重(みえ)の呪いを織り込んで、織ってやる織ってやる。
ひとつの呪いは、神にやる
 寒さと餓えに慄いてすがったのに、たのめど待てど、無慈悲にもさんざん からか い、なぶりものにしやがった、織ってやる織ってやる。
ひとつの呪いは、金持ちどもの王にやる
 俺たちの不幸にも目もくれず、残りの銭まで搾り取り、犬ころのように
 射ち殺しやがる、織ってやる織ってやる。
ひとつの呪いは、いつわりの祖国にやる
 はびこるものは、汚濁と冒涜ばかり、花という花はすぐ崩れ、腐敗の中に
 蛆がうごめく、織ってやる織ってやる。
筬(おさ)はとび、機台はうなる、夜も日も休まず、織りに織る
 古いドイツよ、お前の経帷子を織ってやる。
 三重の呪いを織り込んで、織ってやる織ってやる。

 ロム3さんが当時資本主義社会で労働者が置かれていた状況を、ご存知ない筈はな いと思いますが、他の人の投稿に乗せられて、何か理解不可能なロムを発信されたの ではないかと思っています。
 また紹介した郵便局の請負労働者が、小荷物配達を1件105円で働かざる得ない という現実は、この21世紀がそんなに豊かなのではなくて、年収100万円で働か される、「それがイヤなら首だ」という19世紀並みの労働条件があること、それは また日本だけではなくて、アメリカを先頭とする先進資本主義国の現状だし、また中 国や東南アジアやアフリカ中南米では未だにその方が主流を占めていると言うことで す。
 「豊かな市民」を実現しているのは地球上でも極僅かで、しかも一部の豊かさと大 半の貧しさの格差がますます拡大している。

 この討論は共産主義や社会主義の本質、現代社会をどう捉えるか、などの基本的な 事項ですから喰らいついているのです、揚げ足取りでは絶対ありません。
 まあ年収100万円時代が豊かな市民だと仰るのなら討論のしようもありませんがー 。
 余り長いと良くないので、この辺で止めますが、奴隷と労働者を一緒にしたり、 「労働者的市民」などの逃げの造語も余り感心出来ません。