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「闘い」って楽しいし、面白い。

2005/06/20 寄らば大樹の陰 50代 苦闘するフリーター

 ロムさんかな、私達がやり遂げたこともない「共産主義革命」、「共産主義社 会の実現」を諦めて、いつの間にか「労働者」が「市民」に変わったなどと呑気なこ とを仰っている。
 そもそも「市民」とは何か、ローマなど古代社会で特権階級として市民とて言う言 葉が使われた、「市民」は奴隷をこき使い、その死の格闘を見世物として楽しんだ特 権階級であり、金持ち達のことを言い表す言葉である。
 今でも「市民」の範疇にはブルジョワジー、有産階級も含まれており、「労働者」 と「市民」は決して共通する言葉ではない、それを同じような意味に使われている。
 おそらくロムさんは、今ては死語になってしまったが「一億総中産階級(階層でも いいがー)意識」とか「ヨーロッパ並み賃金」などと言わせ、資本と御用組合とマス メディア、そしてその随伴者達が連合して、労働者を信じ込ませ、基本的階級志向を 抜いてしまった頃の感覚を、未だ保持し虜になっているのではないか。
 考えてみたらいい、今若者達と中高年層にかけられている「年収100万円、20 0万円時代」とか、フリーター、派遣、請負、パートが言葉が労働の主流となるよう な「非正規雇用・不正規雇用」が大手を振る今の社会に、本当の意味での「豊かな市 民」など存在するのか、「労働者」という言葉を無視してもいい様な、みんなが豊か で格差の少ない社会に、私達は存在しているのか、そんなことウソだ、トンでもない 思い違いだと思う。
 「郵政民営化」が進む中で、小包配達1件105円の条件で働かされる請負の労働 者がおり、先端企業工場では労働者の9割以上か「非正規雇用労働者」で占められて いる現実を見れば、「市民」などと言う言葉の欺瞞性が分かるというものだ。
 アメリカが破産的経済状況の中でも、飛び抜けた軍事力を持って全世界を実質上支 配している、文字通りの「資本主義の最高形態としての帝国主義」として君臨してい る今こそ、マルクスやエンゲルス、そしてレーニンが描き挑戦した「共産主義革命」、 「高度に発達した共産主義社会の実現」るので葉が求められているのだ。
 腐朽した社会の転覆の出発点として、労働者の創造力と団結が、今こそ求められて いると思う。

 この間、若者達と一緒に様々の闘いの現場に身を置いて感じる事は、労働者が己と 未来に確信を持ち、闘いを開始した時、闘いは圧倒的に楽しく、面白く充実している という事だ、闘う事によって隠されていた真実も明らかにされる、一方闘いを阻止す る側のぶざまで惨めな本質もより露わになってくる、「闘うこと」そのものが面白く て楽しいものなのだ。
 だが今政党、労働組合の大半は最初から闘うことを止め、逃げ、それを弁解し理由 付けだけに汲々している、だから組合運動も、様々な運動も面白くなく楽しくもない のだ、JR西日本の大惨事に対し、傘下労働組合が資本以上に慌てふためいた事にもそ れは象徴される。
 何もしなければ、客観的与件の幅は、ますます狭くなり不利になって行く。
 何事でも闘いの渦中に身を置き、主体となって始めた闘いは、たとえ一時的に厳し く辛かったとしても、結局は楽しく面白く、時には愉快でさえある。
 精一杯闘い、運動する中で、笑い悲しみ、悔しがればいいのだ、その経験はみんな 楽しみに変わっていく、何もしないで、あれやこれや云っているだけでは闘いの喜び 楽しさなど味わえない。
 革命も社会変革も闘う事によって遂行される、何もしないでただ熟柿が落ちるのを 待つだけでは、何も前進しないし、楽しみもなく未来も開けない。