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「宮本顕治"獄中12年の嘘"」記事に関して真偽を問う

2005/07/03 木村愛二 60代以上 雑誌編集者

 月刊誌、WiLLの2005年8月号に、特別対談「宮本顕治"獄中12年の嘘"」が掲載された。対談の主は、立花隆と兵本達吉である。
 日本共産党員の経験のない文藝春秋の編集者だった立花隆の『日本共産党の研究』の存在は、私自身が日本共産党員の時代から知っていた。日本共産党除名組の兵本達吉の月刊誌『正論』連載は、時折目にしていたが、きちんと読む暇はなかった。これが、「単行本として近々刊行予定」とある。
 しかも、兵本達吉の研究によると、日本共産党内で神格化された宮本顕治の「獄中12年」が嘘で、大半は「未決」のまま、東京の小菅刑務所に拘留されていただけ、というのである。

ところが、電網(インターネット)検索をしてみると、何と、早速、日本共産党の本部が反応している。

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2005年6月28日(火)「しんぶん赤旗」  こんなことも知らないで
 元党員で、公安警察との関係で党を除名され、いまはもっぱら共産党攻撃の文章を反共雑誌に売り込んでいる兵本達吉氏。今度は、さる雑誌の対談で、「宮本顕治“獄中十二年”の嘘(うそ)」と騒ぎたてています。
 なにが“嘘”かというと、網走の監獄に十二年いたかのように宣伝して、世間をだましていた、というのです。
 とんでもない。宮本さんが戦争中の一九四四年十二月まで東京で法廷闘争をたたかったことや、網走刑務所におくられたのは四五年六月であることなどは、日本共産党の歴史を多少とも知っている人なら、常識になっている話です。
 ところが、兵本氏は、「詳しく調べるまでは宮本は本当に網走に十二年間入獄していたと思っていた」というのです。それも獄中の顕治さんと妻の百合子の往復書簡集『十二年の手紙』を「読まされてるから」そう思うんだと。
 こんなばかげた話はありません。『十二年の手紙』は、「市ケ谷刑務所」と「巣鴨拘置所」からの手紙が大部分をしめ、網走からの手紙は四五年七月三日付と九月二十日付の二通のみ。兵本氏は『十二年の手紙』をめくりもしなかったのです。
 対談相手の立花隆氏が、「網走三カ月半」の事実が知られるのは兵本氏がいいだしたからなのか、と感心するのですから、お粗末ぶりは同程度。百合子の「実家」、正確には父方の祖母の住んでいた所ですが、それを福島ではなく「茨城」と口にするいいかげんさをふくめ、“共産党情報”を売り物にしている兵本氏が、いかに“日本共産党知らず”であるかをさらけ出したお粗末な文章でした。(博)
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 いかにも日本共産党らしい子供だましの「揚げ足取り」だが、これでも党員・信者を騙し続け、つなぎ止めることはできるであろう。

 往復書簡集『十二年の手紙』なんざ、手に取る気にもならなかった。網走刑務所で釈放されたことは周知だから、「十二年とある題名と会わせて、「網走に12年」と思い込んでいた。上手な騙し方だったのである。福島と茨城の取り違えなど、良くあることで、あげつらう方が下品、低劣である。
 日本共産党の衆議院議員も、日記に、ミヤケンの網走が「何年も」と記している。実際には、敗戦直前、1944年の夏、6月17日から10月9日までの3ヶ月半だった。時期から言えば避暑みたいなもの。

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日本共産党衆議院議員 瀬古由起子
せこゆきこ日記
2002年8月28日(水) 社会保険浜松病院 浜松労災病院訪問
社会保険浜松病院 浜辺昇病院長と懇談
 「患者に休日はない」と365日ほとんど休まない、携帯電話番号は公開で患者さんから直接電話が入るという院長さんです。「宮本顕治さんは尊敬してい ます。」そういえば同じ東大だから?・・・「あの網走の獄中で何年も健康を維持してがんばった」だからそうです。さすがお医者さんですね。
 地域の「赤ひげ病院」としてがんばって欲しい社会保険浜松病院です。
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 しかし、これはかえって面白い。WiLL編集長の花田も、立花隆も、兵本達吉も、大いに発奮するであろう。やれ!やれ!