投稿する トップページ ヘルプ

一般投稿欄

なぜ日本で反核運動が盛り上がらないか、とんびさんのご意見に賛成する

2005/07/25 千坂史郎 50代

 とんびさんがご指摘された1960年代中ごろの「原水協分裂」と、1980年代中ごろの原水禁運動実行委員会方式分裂。 私もほぼ同感である。

 善意の日本共産党員や原水協関係者の存在を、私はいると確信している。問題の由来は、組織論と大衆運動と共産党との関係性をどうとらえるかにある。
 あまり時間はないように思える。選挙ごとに衰退し、もはや国会の三分の二を超える国会議員が改憲派である。憲法を変える政治運動は、軍事的拡大戦略と密接である。反核運動が、二度も日本共産党の政治的介入によって、多くの平和を望む民衆に嫌気をもたらしたことが、現在の低迷につながっている。

 私は現在ある政党の中で、やはり日本共産党を肯定的に見てはいるものの、憲法改悪や反核運動の線上では問題があると感じている。

 哲学者古在由重さんが、なぜ共産党の言うとおりにせず、袂をわかってまで、反核運動の統一に固執したか。 古在さんが戦前からの、旧制一高以来の生涯にわたる親友吉野源三郎さんの葬儀で読んだ弔文は、現存している。そこではっきり古在さんは言っている。吉野の遺志を受け継ぐ、と。吉野源三郎の遺志とはなにか。戦前に明治大学教員だった吉野は、政治的実践運動で古在の一歩先を歩いていた。東京女子大教員だった古在さんが政治運動に参加するときに、古在さんは吉野源三郎に相談し、哲学研究か政治運動かを選ぶときに岩田義道に尋ねている。
 その吉野の遺志を継いだ古在にとって、道半ばではあるが、実行委員会の統一にまでこぎつけるために、ともに尽力した吉野の死は悔やんでも悔やみきれない生涯の友情の相手の死だった。
 獅子奮迅のごとく、『草の根はどよめく』を表した古在さんが、共産党よりも反核運動の統一戦線を大事にしたのは、当然である。
 一時的な戦術ではなく、生涯にわたる哲学思想と実践との正念場であったのだから。

 とんびさんが紹介されたが、佐高信氏が「憲法九条の会」の親共産党化を懸念して、サンデー毎日で志位委員長に質問したそうだ。そこですぐこたえるだけの度量があれば、「現代の理論」「週刊金曜日」周辺の社会民主主義に近い反体制派知識人やジャーナリストにも良い影響を与えられたのに、あまりにも視界が狭く、支持者さえ突き放すようでは、ますます国会議員は減っていくことにならぬか。杞憂であればよいのだが。