終戦直後の日本社会を見る限りでは、民主主義は通用せず、天皇と帝国憲法と教育勅語による封建的絶対支配を延長することが日本国民のためになるとGHQが判断し、農地改革と財閥解体をいなかった場合は、日本社会は昭和二十年の社会から全く進歩せず、止まっているのでしょうか?
インド社会では厳しいカースト制度と男尊女卑があり、下層民は井戸に近づくことすら許されない地域もあり、民主主義が根付く社会には思われません。
また、朝鮮半島は、元々両班が支配する男尊女卑と身分制度の厳しい国です。民主主義が受け入れられる社会ではない。
中国、チベット、マレーシア、インドネシア、タイ、ビルマ、ネパール、イラン、イラク、ロシア、ポーランド、リトアニア、ドイツ、ブルガリア、アルバニア、ルーマニア、セルビア、トルコ、シリア、スペイン、モンゴル、キルギス、ウズベキスタン、カザフスタンの社会も民主主義とは無縁の社会であり、これらの国々は封建制の下に暮らしていくのが人々に合っているのではないか思われる面は大きい。
新大陸の閉鎖的な清教徒の共同体ですら、民主主義など受け入れる社会には見えない。ユダヤ教徒の石打の刑やキリスト教徒の異端火あぶりは、民族の文化であり、許容されるべきであろうか?
私達が外部の社会をどう規定しようが、動く時は動く。押し付けるも何もない。だから、私がいくら論争しても、イスラム圏がどう動くかは結局当地の人々が決定するのです。私がイスラム圏の動向に何か影響力をもつことはできない。スペインやロシアではナポレオン撃退後、再び反動的な体制が復活したが、これを外部からどう評価しても無意味なのだと思います。
日本には天皇制がふさわしいとアメリカ人が評価することと、実際の日本人の動向は同じではない。日本人を外部からどれほど神秘化しても、日本人も生身の人間だからです。イスラム圏もまた、彼らの必要性で動くでしょう。
左翼は封建体制の守護神ではないし、反フェミニズムのバックラッシュ勢力でもない。
オランダ・イギリス植民地分割前のニューギニア島と今のニューギニア島が全く同じものとは思いません。