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なぜ日本で反核運動が盛り上がらないか-「前衛」高草木論文によせて

2005/07/21 とんび 40代 医療専門職

 共産党の月刊誌「前衛」の2005年8月号に「核兵器廃絶の世界の流れと21世紀の 課題――ニューヨーク行動から見えてきた展望」と題して、元しんぶん赤旗特派員で 現・原水協事務局長の高草木博氏の論文が掲載されています。
 ニューヨークにおける反核運動の盛り上がりと原水協の役割を丹念に論じておりま す。そして興味深いのは、ニューヨークでこれほど盛り上げられたのに、日本では反 核運動が盛り上がっていないことを嘆いていることです。
 日本では、核兵器に賛成の人はほとんどいません、しかし、反核運動に積極的に参 加しようとする人も年々少なくなっています。この背景には、反核運動に参加するこ とは政党に踊らせることというイメージがとても強いことがあります。原水協は、 1966年にソ連の核兵器の評価をめぐって政党の介入で分裂しました。共産党は、「社 会主義国の核兵器は帝国主義の侵略的政策のために余儀なくされたもの」として、全 ての核廃絶という方針に反対し、それが原水協の分裂につながったのです。その状況 は大江健三郎氏の「ヒロシマノート」にリアルに描かれています。
 その後、約13年後に反核運動は、実行委員会方式で、ゆるやかな統一にいたりまし た。東京では、1982年に史上最高の40万人もの反核集会が成功しました。私の職場に は、核兵器だけでなくソ連も共産党も大嫌いな人々が多かったのですが、実行委員会 の核兵器廃絶の署名には気軽に応じてくれて、半分以上の人(約60人)が書いてくれ ました。原爆記録映像を米国から10フィート分ずつ買い戻す、10フィート運動も、多 くの人々が参加できる創意工夫のあるものとして広く取り組まれました。国連でも、 核の冬問題が論じられ、一部の日本の反核運動家が「親ソ的」として国連総会に参加 するための米国入国ビザが発給されないという事件までおこりました。
 しかし、この統一した動きは、1984年に突然引き裂かれました。共産党が平和委員 会、原水協に介入し、それぞれの役員の党員を除名したりしました。その後は20年余 がたち、ソ連の崩壊、インド・パキスタンの公然たる核武装、北朝鮮の核兵器保有宣 言という現実を前にしても、運動の統一がみられません。というより、運動を、原点 に帰り、過ちを認めて立て直すという努力が感じられません。
 高草木氏が嘆くような日本の事情について、氏が当事者意識のないことを、極めて 遺憾に思います。今年も原水爆禁止世界大会は分裂開催であることが報道されていま す。
 また、話は飛びますが、「九条の会」がますます共産党色を強めるているため、共 産党の「主観的な」思いとは反対に、この会が国民から離れてゆく、もしくは、分裂 してしまう、そんなことも心配します。九条の会の大講演会の参加よびかけ人を辞退 した佐高信氏は、サンデー毎日7.10号にこの趣旨で共産党志位委員長に対する質問を 載せています。共産党からの返事はまだ知りません。