8月24日の夜、NHKスペシャル「子供兵を生んだのは誰か」は、アフリカの各国の内戦で常態化しているという、子供兵のことがとりあげられていた。
子供兵がはじめて発生したモザンビークは、ポルトガルからの独立戦争で独立をかちとった国だった。だが、ポルトガル支配の末端を担っていた黒人秘密警察シパイオが、アフリカ最後の人種差別国家であった隣国ローデシア、南アフリカ(そして、アメリカ)の軍事、財政援助を受けながら反政府ゲリラレナモになり、内戦をはじめた。内戦といっても、それは、南アフリカのかいらいであり、モザンビーク国内に根拠をもつものではなかった。当然、兵力の補給もない。そこから、襲った村の子供たちを誘拐して、強制的に兵隊に仕立て上げるということが起こった。父親や母親をレナモに殺されながら、その子は誘拐されレナモの兵士となって、自分の出身村落を攻撃、村民を殺すという悲劇がおこった。紹介された一人の子供兵は解放された当時8歳だったという。
モザンビークの子供兵たちは、南アフリカのアパルトヘイト体制の崩壊でレナモも崩壊したことにより、解放されるが、その傷は今なおいえることはない。今ではモザンビーク自身も内戦の終結で平和な経済建設をすすめられるようになっているわけだが。
そして、ローデシア、南アフリカという、白人支配のアバルトヘイト国家は崩壊したけれど、今なお、資源、利権をめぐっての外国の介入にもとづく内戦はアフリカ各国に存在し、そこではあたりまえのように子供を誘拐して、子供兵にしたてて闘わせるということがされているというのだ。それには、冷戦終結とともに、余った世界の兵器産業の生産物がアフリカに集中されているということもある。
モザンビークの「内戦」と普通言われるが、事実は、ポルトガルからの独立闘争をになったフレリモが社会主義国としてすすんでいこうとしたのに対し、それに脅威を感じた白人人種差別国家だった隣国ローデシアと南アフリカ、それらを支援し、社会主義政権を倒そうとするアメリカが、旧ポルトガル支配のもとで支配弾圧にあたらされてきた黒人を利用して反政府ゲリラ活動をさせたということだった。
子供兵だった一人が成人した現在、インタビューに応えて、「彼らは自由のために闘っているんだと言っていたよ。だけど、変な話だ、自由にするべき人々を殺していたんだから。」と述懐していた。
この言葉は、現在イラクに進駐しているアメリカ・イギリス・オーストラリア・日本など有志連合軍とそのかいらい政権軍にもあてはまる。直接、間接の手のくだし方はちがっていても、その構図はいっこうに変っていないのだ。
モザンビークの解放闘争による独立と「内戦」、子供兵のことは、当時、モザンビーク自体が雑誌を出していて、外国に訴えていた。日本にも当時、独自のルートで紹介されていたのを記憶している。
モザンビークは今からふりかえってみると、一番あとから独立し、社会主義へと向って進んだ国であった。内戦があり、飢饉もかかえたが、西欧諸国との関係を改善する努力をして、生き延びた。それができずに、未だに苦しんでいるのは朝鮮である。
アフリカ各地の内戦については、部族間の対立などと描かれることも多いし、複雑な歴史的経緯もあるのだろうが、ことアフリカの子供兵の発生に責任があったのは、白人アパルトヘイト国家とそれを支援したアメリカ帝国主義だった、ということを知らされた点で有意義な番組であった。
最後に、モザンビーク共和国大使館サイトにあったモザンビーク国歌の非公式日本語訳を引用紹介させていただく。民族の誇りということについて考えさせられた。
『愛する祖国』
アフリカそして世界の記憶の中に、人々が勇敢に戦った美しい祖国がある。
モザンビークよ、お前の名は「自由」。6月(※)の太陽は永遠に輝き続けるだろう。
モザンビークよ、我々の栄光の地。
石をひとつづつ積み上げて、新しい1日を築く。
何百という腕(人間の労働力)が一緒になって、1つの大きな力となる。
愛する祖国よ、我々は勝利する。
ロヴーナ川からマプート川まで結合した民族は、
平和のための戦いから得た果実(成果)を収穫する。
国旗に波打つ夢を膨らまし、明日への確信を耕す。
お前の汗が滲み込んだ土地から、花々が芽吹き始める。
山に、川に、海に。
我々はお前に誓う。おお、モザンビークよ:
いかなる暴君も我々を奴隷化することはできない。
※6月25日がポルトガルからの独立記念日