萩原遼さんの熱心な読者であった私にも彼の除籍は残念です。
しかしある意味で除籍は不可抗力であったようにも思います。
以下、私の考えを述べますので、ご批判をいただければ幸いです。
萩原さんの行動は個人としての正義感に基づくものです。萩原さんはおそらく北朝鮮は遠からず滅びるだろうし、その日を一日でも早めるために行動することが正義であると考えていると思います。その考えは、彼の青年期以後の個人史からして、大いに理解できるものです。間違っているとは思いません。
一方、党は個人ではなく公党ですから、たとえ情勢分析として北朝鮮崩壊が必然であると考えているとしても、そのように公言はできないでしょう。拉致問題の解決には国交正常化が必要であるとの主張は、公党としては正当な主張であると思います。今は少数であるとしても、将来は権力を得ようとしている党としては、萩原さんのように北朝鮮にケンカを売るようなまねはできないのも、理解できるところです。
私としては萩原さんは正義であるが、党もまた正しいと思うのです。 同じ方向をめざしていても、立場が違えば方法論も違ってきます。
党と萩原さんがどのような話し合いを持ったのか不明ですが、私は次のように想像します。
「萩原くん、君の意見は間違っていないから、処分の対象ではない。しかし共に歩む事はできないのも事実である。できれば離党してくれないだろうか」
「私は立党の精神に背く行動をとった覚えはない。離党しなければならない根拠もない。自分から辞めなければならない理由がない。」
「では除籍もやむをえないが。」
「そんな党にはガッカリだが、党がそのように判断するのなら、私には何もできない。好きにすればいいだろう。」
除名ではなく除籍としたのは、こういうことではないでしょうか。