21世紀においては、資本家と労働者の区別はつけにくいのではないだろうか?
企業家と、労働者の区別はつけられる。しかし、企業家も大企業においては、一種 の労働者(雇われ重役)の場合が多い。
一般労働者であっても、株をしこたま買い込んで、その配当を生活の足しにしてい る人もいる。誰が資本家で、誰が労働者か区別はつけにくい。
華道家の仮屋崎省吾さんなんか、何10億という自宅を建てようとして「消費は美 徳」と、のたまっているけど。あの人だって、強いて言えば、労働者に振り分けられ ると思う。正月2日から、1日も休まず働いているので、これくらいのことは、自分 に対するご褒美だと言っている。
中国のような後進国は、資本集約型産業が主であるので、資本家が労働者を搾取す
る姿は明らかだが、その資本家たるや党幹部の出身者だったりする。要するに初期資
本主義社会においては、階級社会なので、官僚主義の共産主義とは、相通ずるものが
あるのではと、思う。
地方の共産党幹部が、農民の土地を奪って、工場を作り、農民の職を奪い流民化さ
せて、党幹部が、資本家化して行くという構図もあるらしい。
ひるがえって、日本の産業は、資本集約型を脱して、労働集約型になろうとしてい
る。特別の技術のある者が勝つ時代になったのだと思う。
前記の仮屋崎氏や、サラリーマンで長者番付に乗った銀行マンだったか、証券マン
だったかもいたし、青色ダイオードで名をあげた中村修二氏などその人にしかない能
力を発揮して、労働者のまま大金を取得している。
だが、その特別の能力による収入も未来永劫約束されているわけではない。マイケ
ル・ジャクソンや。貴の花のように大きな借金があることを噂されているタレントも
いる。
労働者という言葉で階級をひとくくり出来ない社会に突入したと思う。バウムクー
ヘンのように、階層は幾重にも細分化されている。
階層別に考えて行かなければ労働者の団結なんてはかれないと思う。
われわれ年金族の中にも、階層はある。かっては日銭が入って、華やかに暮らして
いた自営業者が、今では年金が少なく苦境にたたされている。反対に、かっては、余
裕なお金が全くなく、ピーピーしていたサラリーマンの方が、物価の低下も手伝って、
わずかな年金も使いでが出てきた。そこには、おのずから、生活感の違いも現れてき
ている。旅行のような小さな催し一つでも、生活感の違いから、まとまらない場合が
ある。60歳過ぎれば、毎日が日曜日にすることも可能な階層と、80歳すぎても働
かなくてはならない小自営業者出身者との差がある
。
自分自身は、十分な年金を得ている元公務員でも、息子や、娘が定職につけなくて、
その生活を援助するために苦しんでいる人もいる。
これは、私の生活の立場からだけ見た世相であるが、世の中は広い。いろんな矛盾 にみちみちていることだろう。そういう矛盾を無視してひとくくりに労働者よ団結せ よといっても、今は、むつかしいのではないかと思う。